春雷響く! Jr.の『逆転サヨナラ満塁ホームラン』

ほらねぇ~、だからそんな予感がしてました、このチームには。
シアトルです、そう、あのマリナーズ。

背番号24番、「シアトルの天然記念物です」とまでイチロー選手に言わしめた大リーガー中の大リーガーと言えば、泣く子も微笑むケン グリフィー ジュニアです。彼は全米のベースボールファンならずともその名は浸透しています。まあ、日本で言えば「長嶋さん」「王さん」的存在の選手であることは間違いありません。
その彼が今日、やっちゃったのです。

『逆転サヨナラ満塁ホームラン!』

今季のオープン戦とはいえ、多少の話題はありました。が、MLBファンにどんなに気を引く話題であったにせよ、今日のたったひとつの「この事実」ですべての興奮が一掃されました。これ以上の「ニュース」はありません!
シアトルの新聞社は今頃、ウハウハ(失礼!)ではなくて、バンバンなのかドンドンなのか、いずれにしても大騒ぎで関係者にコメントを取ったり、記録室からジュニアの今までの活躍した写真を運び出したり、大急ぎで原稿書きをしていることでしょう…。
だって、この『逆転サヨナラ満塁ホームラン!』の舞台は、対戦相手があの「レッズ」だったのですから人情味溢れる記事に仕立て上げるには、これ以上の「ネタ」はありません。
あ~あ、米国スポーツ記者が羨ましい…、なんて、ね。

実はボクも後から知ったのですが、ジュニアが『逆転サヨナラ満塁ホームラン!』を打ったのは、本人がコメントしていますが「高校時代からでも記憶なし」とのことです。今日の試合が、彼の野球人生でお初だったとは、意外ですよねぇ。現役選手の中でただひとり、600本以上(現在630本)の本塁打を記録しているジュニアなのに、初めて、とは。
なので、ボクもアメリカの記者さんみたいに、ちと、取材してみました…すると、です。
「満塁ホームラン」に限って見てみると、松井秀喜選手は巨人軍時代332本のホームランを打ち、そのうち満塁ホームランは6本です。大リーグ・ニューヨークヤンキースに移籍した03年4月8日にヤンキースタジアムデビュー戦での満塁ホームランは今では伝説になりましたね。
今季、涙の復帰を果たした天才バッター・高橋由伸選手は7本打っています。世界のホームランバッター・王貞治選手は868本のうち、15本といまのところ日本球界では最高の満塁ホームラン数です。燃える男、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄選手の満塁ホームランは高橋選手と同数の7本です。
ついでに、「サラナラホームラン」に限ってみると、清原和博選手の12本が日本球界では最高です。
いずれにせよ、『逆転サヨナラ満塁ホームラン!』はベースボールでは最高のドラマであることには違いありません。そうそうお目にかかれるドラマではありませんね。

ケン グリフィー ジュニア。
1969年11月21日生まれ、満40歳。ペンシルバニア州生まれで、隣の州オハイオ州シンシナティ育ちです。1987年には全米ドラフト1位で指名され、マリナーズに入団。1989年、大リーグ開幕デビュー。1991年には自己ベスト、リーグ4位の打率.327を記録し、7月23日には自身初となる満塁本塁打を放ち、彼のスター性はますます上がっていきチーム内も重きを置かれていく。やがて、1994年、開幕から5月末まで、22本のホームランを打って、20本のミッキー マントル選手(NYY)の記録を更新した。
1995年5月のことだった。フェンスに激突して左手首を骨折。このあたりからジュニアの怪我との戦いが始まっていく…。1999年、48本のホームランを放って3年連続4度目のホームラン王になっている。
そして、1999年のオフ。彼の苦悩が始まった。
家族とチームの狭間で悩む。2000年のシーズン、見慣れた濃紺から真っ赤なユニフォームに変わったシーズンが始まった。
家族が暮らすフロリダからシアトルは遠すぎる、と家族との絆で悩み、メッツ入りが確実とさえ言われたが、結局父親がプレーした「シンシナティレッズ」に移籍。背番号「24」から実父のつけていた「30」に変えた。99年オフから00年開幕までの期間、ジュニアが大切にして、こだわったのは、「家族」ということばだった…。実父のケン グリフィー シニアはジュニアにとって、偉大な存在だった。1882年創設した大リーグ史上最古の歴史を誇る「レッズ」。70年代、ジョニー・ベンチ、ジョー・モーガン、ピート・ローズらが活躍し、その姿を当時のアメリカメディアは「ビッグレッドマシン(The Big Red Machine)」と呼んでいた。75年、76年とワールドシリーズ2連覇、リーグ優勝4回、地区優勝6回を誇った。実父は、そのメンバー。ジュニアにとって実父は尊敬の的であり、プレーとしての目標であり、人生の教師でもあったようだ。そのあたりの彼の苦悩ぶりが、アメリカ社会に共感を与えたのだろう。シアトルはジュニアとの契約は当時としては破格の提示をしたものだった。8年契約、である。シアトルマリナーズは「もうどこにも行って欲しくない。ここにいてくれ!」との契約内容。しかし、それでも悩んだ末に「レッズ」へ。
その決断を地元ファンたちは否定するどころか「いつの日か戻ってきてほしい」と、ジュニアのシアトル復帰を願うボランティア団体まで生まれている。

二十年も昔のこと。1990年、シアトル・マリナーズに実父が移籍した。1990年8月31日のロイヤルズ戦で、2番左翼手・シニア、3番中堅手・ジュニアとして、MLB史上初めて親子揃ってスタメン出場。試合ではまずシニアがセンター前にヒットを打ち、続くジュニアも同じくセンター前にヒット、4番打者が二塁打を打つと、ふたりは相次いでホームイン。実父の守備範囲に上がった球をジュニアが追いかけて捕球するシーンもあり、スタンドは大喝采を惜しまなかった…。
同年9月14日のエンゼルス戦での「ドラマ」は、もはやMLB伝説のなかでは、ベストテンに入るだろう。初回にシニアが中堅越えの2点本塁打を放つと、続くジュニアも左翼席に本塁打を放ち、MLB史上初の親子での二者連続ホームラン! こんな姿をシアトルの人々が忘れるわけがない。
「いつの日か(シアトルに)戻ってきてほしい」との願いはジュニアはわかっていた。その選手が昨年からシアトルに復帰したのである。

数々の記録と記憶を大リーグ史上に書き込んできたジュニア。アメリカ社会が憧れる「家族」の教則本のような人生をまっとうするジュニア。大リーガーの薬物使用についての暴露本を出版したホセ・カンセコでさえ、「彼のようなクリーンな男はいない」「彼は常にクリーンだった」と、ジュニアの潔癖さを現場から証言している。ジュニアもおそらく今季で引退だろう。ジュニアの活躍に目を見張った子供たちは、いまではもう家族を構えている世代になった…。

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と、ここまで書いて…ねちゃったら、なんとまあ、シアトルから新聞の切り抜きが届いた。
それが、この写真。いいでしょう、この写真は「MLBの歴史的価値」のあるものになりました…。

ボクはジュニアと松井選手はけっして交わることがないだろうけれど、ふたりの野球人生を追いかけてみると、どこか共通した「国民性」を感じて、好ましい…のです。

『逆転サヨナラ満塁ホームラン!』
ジュニアよ、まだまだ現役で行けますよ、こりぁ。感傷的な記事になったかもしれないけれど、思い出話をするのは、まだ彼には早い! …かな? 
どうあれ今季、ジュニア対松井選手のガチンコ勝負が見られることだけは確か、なのだから。

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…NY152…
by mlb5533 | 2010-03-28 17:04 | 第八章