松井選手の「舞台」役者

野球にはドラマがある。このドラマは…他では真似が出来ない。それほど完璧だ。
時間を戻しても無意味だという点が、ドラマ性が完璧だという証明になる。
時間とともにスリルを演出し、最後はどんな形であれ、幕を下ろす。拍手して感動する者。涙をのんで悔しがる者。やがて、心の喧噪がおさまるとその「物語」が必然であって偶然ではないことを知る。とくに野球はルールが入り組んでいる分、時間毎の心の動揺は大きい。

舞台とよく似ている。
数多くの舞台の中で、「コーラスライン」だけは何度も足を運んだ。ドラマの組み立てが必然だから気に入った。ここでその音、その台詞…。現実的だから、この舞台は。で、何度観てもあのフィナーレの「ワン」では泣かされる…。「What I Did for Love」も80年代でも、キャスティングが変わって歌い方が違っても、ここでこの音と歌詞かいなッ…。と、また、泣けてしまう…。

松井選手って、ときどき思うことだが、ベンチでの何気ない表情がいい。チームでは4番、5番を打つ「主役」だが、ベンチでの表情は「What I Did for Love」を歌う娘のようにふとなにかを見つめていたりする…。特に、ボクには負けている時がそれがそう映る…。


才能は天からの借り物
それはいつもわかっていたこと
だから私は忘れはしない
この思いのためにやってきたことを

この気持ちが
なくなることは決してない
私たちが歩み続けていけば
この気持ちは必ずよみがえるから

今日の日にキスして別れを告げる
それを明日へのはなむけにして
私たちはなすべきことをなしてきた
決して忘れはしない、後悔などできない
この思いのためにやってきたことを


勝負の世界が現実的であればあるほど、必然の結果であるほど、「What I Did for…」と歌い上げたくなる選手だ。松井選手とは、ボクにとって実に不思議な存在である。
一昨日だった。アブレイユ選手が二塁にいた。2死だった。松井選手はとにかくカウントを3B-2Sのフルカウントに整えた。このときボクは「あッ、これ、松井選手の勝ちだ」と感じたとたんに、ライトへのヒットだ。フルカウントだから、当然アブレイユ選手は全速力で走る。打点1は、必然だった。3B-2Sのフルカウントに整えてしまうところが、松井選手の勝負師根性だろう。
ここでこの音、この台詞…である。松井選手のプレーは、良質な舞台演技をする役者とよく似ている。作り物ではなく、現実味があるからだ。必然性を感じさせる選手は、ボクには、そうそう見当たらない。

今日は散々だった。
だから…、明日のドラマが待っている。
待っているドラマ、今日とは全く違う明日のドラマがまた観られる。


…NY152…
by mlb5533 | 2010-06-16 04:05 | 第八章