「通算記録」は無用では…

スポーツ紙にこんな記事が載っていた。

アメリカ公式記録員のビル・シャノンさんのコメントだ。
“日米通算”に疑問「心地いいものではない」と題して、次のような記事だった。
「1978年から大リーグの公式記録員を務めているビル・シャノン氏は、マリナーズ・イチローの日米通算3500安打に「イチローや松井秀が、日本でも最高水準のプレーをしていたわけだから、日本人が日米の記録を合算して考えるのはよく分かる。日本のメディアがそう考えるのは理にかなっている」と話した。
ただ、大リーグでの記録の取り扱いについては「大リーグをはじめ、マイナー、大学、セミプロなどさまざまな枠組みでベースボールに125年の伝統がある。メキシコのリーグや日本の記録を加えることは、心地いいものではないと感じている。高慢な考えなのかもしれないが、伝統と慣習に従っている」と語った。
素敵な話だとボクは思った。

今日、イチロー選手はトロント戦で今季初の4打数4安打の大活躍。しかし、シアトルは後半追い上げたが3-5 で敗れたが、イチロー選手の200本安打達成まであと3本になった。大リーグに移籍して01年から今季10シーズン。大リーグでの累積安打数は、2227本になった。
ところで、この記録はイチロー選手の大リーグでの純粋な活躍記録であることは言うまでもない。この記録だけでも現役選手はじめ各チームの監督さんでも、脱帽する。おそらくこのまま行けば、イチロー選手は10シーズン連続200安打達成になるだろう。そんな凄まじい打者は125年間の大リーグの歴史には存在しない。
だから凄い打者、というのは早急すぎる。イチロー選手の「もの凄さ」は、大リーグに変革をもたらした貢献者であるとこだ。どんな変革か…。それは、「内野安打の価値観」だ。
イチロー選手は大リーグに「日本の野球」を逆輸入させた貢献者でもあることを忘れてはいけない。そう、俊足をフルに生かした「内野安打」こそ、イチロー選手いや、日本人がその体力にあわせて創り上げた安打と言える。アメリカベースボールにはなくて、ボクたち日本人の野球ファンは高校時代から当たり前のように見てきたあの「内野安打の価値観」を大リーグに逆輸入したことだ。
ヤンキースが日本で開幕戦を行ったが、その前に各チームと対戦した。その感想を主将・ジータ選手は、こんなことを言っている。「彼らはズルイよ」その言葉を聞いて戸惑った記者が「なぜですか?」と聞き返した。するとジータ選手は「だって、みんなイチロー選手のように足が速すぎるから」と、冗談とも本気とも聞こえるコメントを残して記者団から爆笑を誘っていた。

日本の野球界にはかつて、長嶋茂雄とスパースターがいた。王貞治というホームラン打者がいた。
両者とも白球を遠くに飛ばす技術は人並み外れていたが、俊足でもあった。日本の野球選手はジータ選手が指摘したとおり、彼らはバットを振りまわす前に子供の頃から実に俊足である。これをイチロー選手はベースボールの聖地・大リーグに逆輸入した。
ボクたちは何回となく見てきた。イチロー選手がショートに、高いバウンドで投手方向に、サードにボテボテのゴロに…そのたびに守備に就いた選手が一塁送球を諦めてしまうシーンを。こんな光景がかつて大リーグにあっただろうか。送球しても、間一髪セーフというシーンも散々見てきた。

懸命に走る。「一塁を獲る」ために。これがそもそも日本野球・1番打者の使命だと高校時代から彼らはそう教育されている。1番打者とは体を絞って、小柄な俊足 …そんなイメージがボクたち野球ファンに固定したのも日本野球の伝統からだろう。

伝統、とはいうものの「日本野球史」はいつ頃から始まったのだろうか。
日本の野球史は「1871年(明治4年)に米国人ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科で教え、その後全国的に広まった」と記録されている。となれば、日本の「野球史」は139年の歴史を誇る。
「ベースボール」を、初めて「野球」と日本語に訳したのは、第一高等中学校(1894年、第一高等学校に改称。第二次大戦後の学制改革の際に東京大学に併合され、新制東京大学教養学部になる)の野球部員であり、俳人の中馬庚(ちゅうまん かなえ)だ。
日本初の野球スター選手は誰だったのか? 青井 鉞男(あおい よきお)だろうとボクは思う。栃木県出身で旧制宇都宮中学(現宇都宮高校・通称ウダカ)卒業後、旧制一高から東京大学教養学部へ。一高時代に「野球」と出会う。彼は投手だった。まだ高校生の頃、横浜の外人居留地を訊ねて「ドロップ」の変化球をマスターしたのである。落ちる球、だ。それ以後、一高のエースとなり「日本に敵なし」とまでもてはやされた。青井投手は実力を試したかったのか、本場アメリカの横浜外人クラブとの試合を申し込んだが、小柄な体に技術も稚拙であるとして、試合を拒否される。しかし、明治29年5月23日、遂に日本人選手が初の国際試合のグランドに立った。一高は投手・青井 鉞男をマウンドに送っている。青井はアメリカ人から学んだドロップを速球と交えて放り続けた…。試合結果は29-4 の大勝である。
小柄で技術も稚拙と言われた日本人高校生が外人クラブを下したのである。当時、これは新聞沙汰だった。
話しはここで終わらない。雪辱に燃えた外人チームは当時停泊していた米国東洋艦隊チャールストン号、デトロイト号の船員の中から特に精鋭をズラリと揃えて全てアメリカ人によるチームを再編して、再試合を申し込んでいる。この雪辱戦の投手も青井である。同年6月5日のことである。試合結果は32-9 の大勝で連破している。
やがて青井は、青年たちに「野球」を指導する立場になり、現・横浜市立横浜商業高等学校の「野球部」監督の人生を送っている。この部員の多くはプロ野球界でも活躍した人たちが多いが、現在読売巨人軍の山口鉄也投手も同校卒業生である。つまり、山口投手は野球先駆者・青井投手直系の後輩である。

日本の野球史はこのとおり、「日本学生史」である。プロではなく、アマチュアの歴史が長い。
彼ら学生たちが「ベースボールのルール」を翻訳し、プレーしてみせた。学生らしい規律がいまでもプロ野球界に現存しているのはそのせいであろう。「犠打」は将に日本の学生らしいプレーだ。友が自己犠牲になってまでも、仲間を生かそうとする考え方とそのプレー。塁に出た仲間は、友が犠打を打ってくれたのだから決してムダには出来まい。全力でさらに上の塁をめざすのは当然…というチームへの思い。個人の勝利ではなくて、チームの勝ちに貢献する考え方…などなど。
こうしたプレーの集大成がいま本場米国のグランドでイチロー選手や松井選手が見せている。大リーグファンたちの観戦の仕方まで変化させた。ホームランと三振が「ショー」だったMLBに、「内野安打」と「頭脳的打撃」を見せつけるイチロー選手と松井選手…。そして、野茂投手の活躍…。
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だからこそボクは思う。
日本のメディアは、絶対に彼らの成績を「日米合算」とか「日米通算」にして欲しくないのだ。彼らに、そして大リーグ関係者たちにも、はなはだ失礼ではなかろうか、と思う。このブログでもそんなことは考えもなくボクの個人的うれしさから「通算」の記事を載せてしまった…。
「野球」と「ベースボール」はその質的量感というべきか、そもそも違っているのだから。今後、松井選手達の個人記録には配慮して記事を書こうと思った…。

…明治の野球大スター・青井 鉞男が自ら考案した「千本素振り」の練習方法は、巨人軍4番打者・長嶋茂雄が受け継ぎ、それを松井秀喜選手に直伝していることはあまり知られていない…。

今日の試合で松井選手はサイン通り、内野ゴロだったが三塁から本塁を狙って走塁。球が逸れてセーフになったが逸れていなかったらどうか微妙だった。ただ、彼が本塁に滑り込んだ際に左手を使って本塁にタッチしている。この冷静さも松井選手らしさであり、また松井選手の野球観を育てた「日本野球」のプレーとして見ることも出来るのでないだろうか。
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by mlb5533 | 2010-09-23 02:36 | 第八章