平成に「伝説」あり

先日、友だちと「昭和」を話題にした雑談をした。
珈琲談義と都会の変貌ぶりが中心だったが、友だちがこんなことを言いだした。
「時代には個性がある」、という。「明治、大正、昭和とそれぞれ個性的な色を感じるが、平成はそれがないなあ…」と嘆く。他の人もこの意見に同感していた。「強いて言えば、無個性時代であり、無気力時代で、肯定的な想い出のない時代かなあ」とも言う。教職の友だちは「とくに、子供たちや青年像が他の時代に比べて「夢」を感じさせない時代だなあ」と嘆く。
なるほど、と思った。

平成になって日本経済が下降の一途をたどり、政局が不安定で、国際的にも外交交渉が後手になった時代でもある。不安感が蔓延して、活気が薄らいだとも見える時代が平成、というのが一般的な意見なのだろう。なんのせいか…。

しかし、時代を嘆くのは今に始まったことでもない。戦後を挟んだ昭和時代でも、戦前と戦後を比べて嘆くエッセイが頻繁だったし、大正ロマン時代には明治の文豪たちがその急変ぶりに危機感を書いたものだった…。要するに、新しいものが入ってくると、必ず古いものが押しやられた。それを惜しむのだろう。

ところで、確かにボクには「平成」は個性的な時代とは思えない。そんな時代にこの松井秀喜選手が活躍した。野球界はもはや日本ではお家芸であろう。国民的スポーツだ。1934年(昭和9年)に現在のプロ野球の礎が出来たから今年で80年の歴史だ。正岡子規の時代からみたら、野球競技は明治20年頃には始まっていたから、130年ほどの歴史がある。
この野球の歴史だけは、他の日本文化が経済と連動して極端に変遷突起すると比べると、変わりなく脈々と歴史を刻んでいるようにボクには思える。
演劇界、映画作品、音楽界、文学…などは、10年ひと昔のように、あっという間に価値観さえ変貌してしまっているように思われる。だが、野球の「大衆性」だけは日本人が、ガンとして変えようとはさせない。だから、スーパースター列伝の神話がこの世界だけには、消えることなく、歴史観とさえ思えるほどに、綿々と受け継がれている。川上哲治選手が引退したとき「背番号16」に優る選手はもう出てこない、、と日本国中が嘆いたと聞くが、安打製造機なら、世界に誇るイチロー選手が今もって活躍中だ。

「背番号14」の沢村栄治投手が来日したベーブルースを三振に取った伝説はいまも消えていないが、奪三振の伝説なら、野茂英雄投手がいる。

そして、日本中を号泣させた日本プロ野球の「神聖・長嶋茂雄選手」の引退はもはや最高の物語になってはいる。「長嶋を超える選手は二度と出ない!」と、昭和のメディアは豪語して記事に仕立て上げた。
しかし、平成になって、松井秀喜選手が米メジャーに移籍してから、日本人の眼差しは太平洋を越えたMLBに向けられ、ヤンキースタジアムで放った「満塁ホームラン」は神聖・長嶋監督さんをもって、「見事!」と言わしめた。

平成は全体的には無個性なのだろうが、ここ野球界だけは「夢」を残している…。
ボクには、そう思える。


…NY152…
by mlb5533 | 2013-01-19 08:28 | 第二部