祝!  ふたり揃って「国民栄誉賞」

4月1日、長島茂雄巨人軍名誉監督さんと松井秀喜さんのふたり揃って、「国民栄誉賞」同時受賞の方針を決定しました。政府もずいぶん粋な計らいをしてくれました。
「ふたり揃って」というところが「日本人らしさ」を感じます。ズバリ、「師弟関係」の受賞ですからこれは日本人の心を掴んでしまったことでしょう。まだ桜が残る板橋駅前商店街にも、このニュースは春の街を一層明るくさせてくれました…。

このニュースは日本国内だけに留まらず、全米にも、中南米諸国、そしてベースボールの楽しさを覚えた欧州諸国に、さらには豪州にも「ナガシマ&マツイ」の名前が報じられたはずです。日本にいる外国記者たちは一斉に祖国にこの話題を原稿にして送信したはずです。
ところで、「国民栄誉賞」を英語ではなんと表現するのかと素朴な疑問。直訳すれば「People honor prize」かなあ…こんな言い方?かぁ…。
気になりますよねぇ。そこでボクは早速NHKの広報担当さんに電話取材してみました。海外向けのニュースでは、「People's Honor Award」という言語表現で統一されていました。政府も今後のこともあるので、英語での表記も示していただきたいなッ。一国の総理が国民に表彰を贈る…、こんなに素敵な行事は他の国にも誇れると思いますから、ねッ。

a0094890_15432320.gifさあ、皆さん。
このうれしさを、どのように書けばいいんでしょうか…。
松井選手のコメントはまだ日本には届いていないようですが、
長嶋さんはいち早く、

「国民栄誉賞のお話には驚いておりますが、受賞が決まれば、本当に光栄です」

とコメントした後、まな弟子の松井氏との同時受賞には、

「監督と選手として苦楽を共にしてきた松井君と一緒に頂けるということであれば、これ以上の喜びはありません」

と、ご自分の感動までコメントしてくれました。

長嶋さんと松井選手の「書きたい放題」のチャンスじゃないですか!
うれしいやら…緊張するやら…データの取材もしなくちゃなんないし…。まあまあ、興奮してますから、なにを書いても自己満足100%の原稿です。すみません…。

a0094890_15534842.gifWindows3.1時代からPCをいじくっていましたから、大量のソフトが部屋で放置されたまま。その中には、文春がかつてCD発売した「長嶋さんのCD」があったはずと、懸命に探しまくって、見つけましたよ。
その写真を使ってこんなコラージュを創ってみました…。まずは、長嶋さんの現役時代。ボクたちが初めて野球に熱狂した頃の長嶋選手が、これでした。









長嶋さんと松井選手。このふたりの物語って、実によく似ていますね。それぞれが「師弟関係」のみならず、「宿敵」もあり、「運命的出逢い」あり、「伝説」ありとずいふん共通したドラマを持ち合わせています。これをいちいち丹念に書いたら、それだけでも一本のブログが出来上がるほどの分量でしょう…。それほどこのおふたりの生き様は「球界」という限定した地域にとどまらず、「一般社会」に大きく影響を与えた人物であることに違いありません…。

長嶋茂雄…。
「我が巨人軍は永遠に不滅です」
ボクが野球を大好きになった理由は、巨人軍に長嶋選手がいたからです。
音楽と絵画とお芝居だけしか出来なかったボクが、小学校の夏休みにお父さんに連れられて「後楽園球場」で巨人と中日戦を見ました。お芝居や演劇、寄席など「ナマの声」でずいぶん沢山見ていましたが、スポーツはボクにとって未知との遭遇でした。
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球場に響き渡る打球の衝撃音、観客の歓声、星空に飛んでいく白球の美しさ、躍動する選手の動きなどなど。しかも、芝居小屋で食べるお弁当とは全然違ったパンの味(と、いうのか…今想えばホットドッグ的なサンドみたいな…)を初めて知って、驚いたことまで覚えています。
なんとまあ、おもしろいんだろう、映画よりおもしろい…と、そう感じたものでした。
実はあの頃のボクは「プロ野球」って、「商業的見世物」だと勘違いしてましたからお父さんに、「これにも台本があるんでしょ」って、聞きました。そしたら、「よく見ろ! 台本どおり選手が動けるか! そんなのないんだよ、台本なんてないだスポーツの世界には」って、笑って教えてくれました…。ボクには衝撃的な真実でした。
だって、台本がないと言うことは「ずいぶん危険なことをしている人たち」と想ったからです。
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ボールに当たったら大怪我するよ、アブナイよ、って想ったんです。
…とにかく初めての後楽園はボクにとって衝撃の、未知なる夢の世界との出逢いであったことには違いありません。小学生時代、日舞に通っていましたが、その夏はおさらいどころか、すっかり野球のトリコになって、日舞の舞台どころか、夏休みの宿題さえ後回しにしたほどでしたから。
ルールを知れば知るほど野球って「うまく出来てる」って感激したことも覚えています。真っ先に覚えたルールが、「ホームラン」でした。分かり易かった。クラスの仲間とさんざん「長嶋談義」をしたことも、ボクの子供時代の想い出です…。

「4番サード・ナガシマ」のアナウンスが球場に響き渡ると、ボクは「よし!」って気合いが入ります。「さあ、今日はどんなドラマをみせてくれるのかなあ…」って、まさしく緞帳が上がる舞台見物と全く同等の興奮が起きました。ボクの長嶋選手へのイメージカラーは「ホワイト」なんです。9回になる頃には泥だらけになってしまう長嶋選手のユニフォームなのですが、その汚れがかっこいいって想いました。
打つ姿…走る姿…一塁に投げる独特の姿…バットを振る姿…、当時のボクにはあれ以上の「役者」は、球界では見当たりませんでした。
東映だったら中村錦之助、大映だったら市川雷蔵と勝新太郎、東宝だったら三船敏郎と加山雄三ってボクには決まりがあったのですが、スポーツは「長嶋茂雄選手」でした。野球を知ったあの頃、巨人軍の勝敗より長嶋選手の試合での活躍に関心が向いていたのです。長嶋さんの活躍だけを追いかけているうちに野球ゲームとは「チームプレー」であることを知りました。やがて、勝負にこだわる観戦も出来るようになりました。野球の醍醐味とは、「団体戦であり、個人技の総合力」であること。舞台や合奏とまったく同じだ、という楽しみもわかるようになりました。
長嶋さんのおかげです。

ボクだけではないと思います。お父さんでさえ、あの引退ゲームの時、テレビの前で涙を拭いていましたから…。

まだまだ書きたいネタがあります。今日は、まずは舞台のかけ声よろしく「ご両人!」と、お祝いをだけを書いておくことにします。
松井選手は直ぐに書きますが、いろいろと写真など集めたり、データを取材したりしてみますね。
がんばります!



長嶋 茂雄(ながしま・しげお)

1936(昭和11)年2月20日、千葉県生まれ、77歳。佐倉一(現佐倉)高から立大を経て、58年に巨人入団。1年目からレギュラーの三塁手として活躍し、新人王。勝負強い打撃と華麗な守備で、王貞治らとともに巨人のV9(65-73年)を支えた。74年に現役引退。75-80年、93-2001年に巨人の監督を務め、日本一2度、リーグ優勝に5度導いた。02年12月、日本代表監督に就任したが04年3月に脳梗塞で倒れ、アテネ五輪での指揮を断念した。1988年野球殿堂入り。現巨人軍終身名誉監督。右投げ右打ち。


松井 秀喜(まつい・ひでき)

1974(昭和49)年6月12日、石川県生まれ、38歳。星稜高で甲子園に春1度、夏3度出場。3年夏の明徳義塾高戦(2回戦)では5打席連続で敬遠された。93年ドラフト1位で巨人入団。主砲として4度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。2002年オフにFAでヤンキース移籍。07年5月に日米通算2000安打達成。09年ワールドシリーズでは日本選手初のMVPに輝く活躍で世界一。10年エンゼルス、11年はアスレチックスに所属。12年はレイズでプレーし、12月に現役引退を表明した。右投げ左打ち。

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by mlb5533 | 2013-04-02 15:41 | 第二部