Yankee Stadium

日本時間で、2003年6月8日の朝だった…。
この日、我がヤンキースに入団した松井秀喜外野手が、5号ソロ本塁打を打った!
しかし、この日に限ってNHKのBS1ではその試合を中継していなかったから、その瞬間を見られなかったのが残念でしかたない。

松井選手がヤンキースに行ってから、ボクの私生活はずいぶん変わった。
それまでの数年間は、お昼頃に起床していたし、床につくのは午前3時頃だったか… 授業の講義で気になっている箇所の調べもので時間を使っていたり、DVDの新作映画を数本見続けたり。そして、目が覚めた時間が、ボクにとっては、その日の朝だった。
起床するとまず、コーヒーメーカーをオンして、フラフラと洗面。白いマグカップにコーヒーを注ぎ、それを持って歩き、椅子に座って、PCをオンする。立ち上がる僅かな時間に熱いコーヒーをすすりながら、タバコを一服する。その生活リズムが長い間続いていた…

この生活リズムがいいのか、悪いのかと言う是非論は後にして、いまやYankeesの松井選手の活躍が気になっているのだ。

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           2003年3月31日初安打! ここから「伝説」は始まった

朝8時から始まるNHKのBS1「大リーグYankees戦」中継を見ないと、落ち着かなくなった。時々、他のチームの中継になってしまって、Yankeesの試合があってもその中継がない。長年Yankeesと付き合いの深いボクにとっては、そんなときいささか機嫌が悪い…

松井秀喜選手が、まだ巨人軍に在籍していた頃は、いまほど注目はしていなかった。
東京の渋谷で生まれ育ったボクは、子供時分から「巨人軍」を友だちにしてきた。生粋の巨人ファンであることは間違えない。父親や先輩たちから、後楽園球場や神宮球場に連れて行ってもらったものだが、それでも、現在ほど松井選手を注目するようなことはなかった。ひとりの選手に意識が向くことはなかったのだ。

ボクが「巨人ファン」の看板を下ろしたのは、やはり、長嶋さんがもういなくなったからだと思う…
そして、松井選手もその翌年、アメリカに渡ってしまった。
記者会見で、彼はこう言っていた。
「ヤンキースに入団します」と。
ボクは我が耳を疑った。なになに、松井選手がYankeesに行くって? ホント??

この瞬間から、ボクは自分の中に隠れて眠ったままだった「New York」が目を覚ました。
そして、この日から松井選手をプロ野球選手としてではなくて、ボクはひとりの人間として彼を見るようになった…

‘80年代、経済記者をしていた頃、ひとりでアメリカに行ったことがある。
ろくに英語も話せなかったボクが、ひとりNYのアパートから取材する日々を過ごした。
失敗ばかりだった。レストランでのマナーも知らなかったし、第一、地下鉄の乗り方すらわかっていなかった。バスを使って移動するなんて、出来るわけもない。
あの頃ボクは、アメリカが大嫌いだった。いや、もっと若かった小学生頃から、アメリカが嫌いだった。
アメリカの歴史を知るほどに、嫌気が増した。だから、英語は学ぶ気がしなかった。どうせ行くこともない国の言葉を学んでも、意味がないから。
それよりも、フランス、とくにパリにあこがれを抱いた。イタリアにも関心を持ち、ロシア文学にも興味を持った。映画は、フランスかイタリア映画を好んで見、アメリカ映画は見ようともしなかった。

記者になったら、一層その気持ちは強くなった。結局は、国政でも、経済政策でも、外交問題でも最後は力ずくじゃないか。なにが民主国家か、と嘆く。
そんなボクが、なんの因果かNYひとり旅。その後数年間、東京とNYをなんども往復することになっていく…
ある日、気がついた。
ボクが落ち込んだときでも、淋しそうにしていたとき…ビレッジに誘ってくれたのは、NYの友だちだった。ホームパーティーに誘ってくれたのも彼らだった。映画に連れて行ってくれたのも、ミュージカルの切符を手配してくれたのも、そして…「Yankee Stadium」との出会いと、その歴史を熱っぽく語ってくれたのも、みんなみんなNYで知り合った友だち。つまり、アメリカ人だった。
彼らは、ボクの中に「高慢と偏見」があったことに気づかせてくれた。

              2003年4月8日、大リーグ1号は満塁弾!
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ボクの学生時代…
イタリアから美術を学んだ。ドイツから古典音楽を学び、フランスから哲学を学んだ。ロシアから文学を学び、イギリスからは舞台芸術を学んだ。アメリカからは学ぶものがないと思っていた…
しかし、NYで生活したことでボクは学校では学べないものを学べた。
それは「愛と自由」だ。かけがえのないものになった。
おかげで、いまでも第二の故郷「アメリカ」には、年に何回か行く。友だちに会うために…



Yankee Stadium_a0094890_1593249.jpgNew York 2003年、9月28日。
この日、ボクはYankeeStadiumにいた。ウェルス投手の200勝達成を見られたことはうれしい。松井選手は1打席だけDHの出場だったが、それでもきっちりと安打してくれたことが誇らしい。
ボクがこの目で初めて見た「ヤンキース松井選手」の「生ヒット」でもある。
あれ以後、ボクは友だちとYankee Stadiumに通っている。日本から、わざわざ見に行くほど、松井選手が気にかかる。

巨人軍の4番打者という日本プロ野球界での最高の勲章を棚に上げてまで、太平洋を渡った松井選手。
きっと、彼には「夢」があったに違いない…
その「夢」を現実にするために、太平洋を渡ったのだろう… ボクは、そう思いたかった。

上記の写真は、松井選手がヤンキースタジアムで打った満塁ホームラン。彼にとって、大リーグ本塁打1号である。
ヤンキース百年の歴史の中で、ルーキーがホームグランド「Yankee Stadium」初試合で満塁弾をスタンドに打ち込んだのは、彼が史上初めてである…

…NY152…

(松井選手の写真はYahoo!sportsサイトより)
by mlb5533 | 2005-12-08 03:34 | 第一章