「永遠の3割打者」-背番号「23」の伝説

ヤンキース「永久欠番」-第2話-

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背番号「23」: ドン・マッティングリー (Don Mattingly)1塁手のお話です。







「3割打者の伝説」と言えば、もうこの選手を置いて他にいるでしょうか?
まずは、ご覧いただきましょう。
マッティングリー選手の打率の足跡を追いかけてみましたので…。








82年   7試合  12打数  2安打                打点   1 打率.167
83年  91試合 279打数 79安打 2塁打15 本塁打 4 打点  32 打率.283
84年 153試合 603打数207安打 2塁打44 本塁打23 打点 110 打率.343★
85年 159試合 652打数211安打 2塁打48 本塁打35 打点 145 打率.324☆※
86年 162試合 677打数238安打 2塁打53 本塁打31 打点 113 打率.352◆
87年 141試合 569打数186安打 2塁打38 本塁打30 打点 115 打率.327
88年 144試合 599打数186安打 2塁打37 本塁打18 打点  88 打率.311
89年 158試合 631打数191安打 2塁打37 本塁打23 打点 113 打率.303
90年 102試合 394打数101安打 2塁打16 本塁打 5 打点  42 打率.256
91年 152試合 587打数169安打 2塁打35 本塁打 9 打点  68 打率.288
92年 157試合 640打数184安打 2塁打40 本塁打14 打点  86 打率.288
93年 134試合 530打数154安打 2塁打27 本塁打17 打点  86 打率.291
94年  97試合 372打数113安打  2塁打20 本塁打 6 打点  51 打率.304
95年 128試合 458打数132安打 2塁打32 本塁打 7 打点  49 打率.288
                    (★は首位打者 ☆はMVP ※は打点王 ◆は最多安打)
14年間トータル記録は…
1785試合 7003打数2153安打 2塁打442 本塁打222 打点1099 打率.307

6年間連続の3割を記録しています。
現役のバーニー ウィリアムス選手は8年連続の3割を記録していますが、残念なことに昨年までの15年間シーズンの打率アベレージは.298です。なんとしても、今期は.300まで数字を伸ばしておきたいものです。
皆様もご承知ですが、松井選手が今期、打率.310以上を記録出来たら、大リーグ4年間での打率アベレージを3割にのせることが出来ます。まあ、松井選手にしても、バーニーにしても、手の届く数字だと思いますが…。これも今シーズンの楽しみでもありますね…。

さあ、マッティングリー選手のことです。
この選手は、ホームラン打者ではありません。まさしく、アベレージヒッターの鑑(かがみ)なのです。
しかし、彼の本塁打もおもしろい記録が残っています。
1987年に、8試合連続ホームラン はいまでもメジャーリーグ記録のタイ記録になっていますし、同年の1シーズン6本の満塁ホームランは、メジャーリーグ記録になっています。

派手な記録はこのくらいですが、チャンスに強いことから、しっかりと打点を獲得出来る選手でもありました。どちらかと言えば、ファンたちの記憶に残る選手、だったのです。

1981年、ヤンキースはドジャースとのワールドシリーズ対戦以後、15年間、1995年までリーグ優勝どころか「最下位争いのヤンキース」と言われるほどの低迷が続きます。
1985年に盗塁王のリッキー ヘンダーソン選手(Rickey Henley Henderson-89年まで在籍)を補強しますが、それでも「冬」を超えることはなかったのです…。

                                        盗塁王リッキー選手
a0094890_3222399.jpg1994年には、大リーグ最大の危機、「ストライキ」がありました。これによって、ワールドシリーズはもとよりレギュラーシーズンの試合も出来なくなりました。そのことから、ベースボールの多くのファンが去ってしまったのです…

この15年間を「ヤンキース冬の時代」と米国マスコミではそう呼んでいます。

その「冬の時代」に活躍していた選手こそ、「永遠の3割打者」 ドン マッティングリー選手なのです。
ドン マッティングリー選手は、一度もワールドシリーズに出場しないまま1995年に引退。そんな彼の姿を、ヤンキースファンたちは惜しみました…。

一方、球団にも新たな動きが始まります。
1995年11月。シーズンオフにヤンキース新監督が発表されました。
ジョー・トーリ(Joseph Paul Torre)でした。
ジョー・トーリ監督とドン・マッティングリー選手は、お互いにすれ違いの野球人生だったのです。

そして、翌1996年。ヤンキースは新監督のもとで18年ぶりにワールドシリーズを制覇しました。
その後、1998年から2000年のワールドシリーズ三連覇の偉業を達成します。
この時代を「ヤンキース復活の時代」と米国マスコミは呼んでいます。長らく低迷していた名門ヤンキースの完全復活を実現したのです。トーリ監督はみんながよくご存じの、ヤンキース史上初の8年連続ポストシーズン進出も達成していますね。

ドン・マッティングリー選手は、皮肉なことに引退した翌年1996年、アトランタとのワールドシリーズ4勝2敗、18年ぶりにワールドシリーズを制覇したヤンキースの姿をスタンドで観戦しています…。


a0094890_3232073.jpgドン・マッティングリー選手。
ヤンキースの主将は現在ジータ選手で11代目ですが、1991年2月28日から1995年までの期間、10代目がドン・マッティングリー選手でした。

彼は1990年。最下位争いになって観客が遠退いていくスタンドを見て、かなりの苦しみを持っていたと伝わっています。さらに悪いことに、膝を壊して彼は7月に障害者リストに。シーズン後半復帰したが、すでにチームは低迷からの脱出は出来なかったのです。
シーズンオフに大手術をして、1991年に復帰。
復帰した ドン マッティングリー選手はやはり徒者ではなかったのですが、往年の「ヒットマン」としての力量は影を潜めていきました。その後、5年間プレーしますが、94年の打率.304以上を打つことはなくなりました…。

ヤンキース一筋。
1982年から14年間プレーしたドン マッティングリー選手。折りしも「冬の時代」低迷期の真っ只中でした。結局引退までにワールドシリーズに出場することは叶わなかった「永遠の3割打者」ドン マッティングリー選手。
それでもひとりグランドで気を吐き、1984年にはチームメイトのデーブ ウィンフィールド(Dave Winfield;81年から90年在籍)と激しい打率争いを演じ、僅差で首位打者のタイトルを獲得しています。この様子を一目見ようと、リーグ争いからはずれたヤンキースだったが、ドン マッティングリー選手の活躍だけを見たさにスタジアムに足を運ぶファンたち…。
また、デーブ ウィンフィールド選手ですが、彼の背番号「31」は、パドレスでは「永久欠番」に指定されていますね。

                 デーブ選手とマッティングリー選手
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マッティングリー選手は守備にも定評があり、ゴールドグラブ賞は9回も受賞しています。


やがて、時は流れて…、2004年。
トーリ監督はドン マッティングリーを呼び、打撃コーチに迎えました。
現場復帰したドン マッティングリーは、松井秀喜選手始め、あの「ポカ選手」カノー君、そしてディ
レク ジータ選手らの指導にあたっています。

マッティングリー選手を知る古くからのヤンキースファンはそっと静かに、共通の「夢」を見ています。
それは…、
今年ヤンキースがワールドシリーズを制覇し、大勢のファンが見守っている「そのグランド」で、トーリ監督とドン マッティングリーコーチのふたりが握手している姿なのです!

トレードマーク「口髭」を落としたマッティングリー コーチ
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ドン マッティングリー選手の引退した翌々年の1997年、背番号「23」はヤンキース球団では「永久欠番」に指定しました。



(写真はYahoo!sportsサイトより)
…NY152…
by mlb5533 | 2006-03-14 15:19 | 永久欠番