メディアと戦った背番号9 …「61*」の悲劇…

ヤンキース「永久欠番」-第3話-

a0094890_2432353.jpg現在、ボクの手元には正確な情報がないのでMLBサイトの記事に頼るしかありませんが、気になっているのは、「714」のことです。
サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー ボンズ選手が通算本塁打記録が現在「713」になっています。
「714」まで、残すは後1本…

あの偉大なるベーブ ルース選手の通算本塁打記録まで、後1本と迫っているのです…

しかし、米国メディアはバリー ボンズ選手の記録を追いかけている様子は感じられません。どうあれ、偉大なる記録の達成が目前まで迫っているというのに米国のメディアはさほどの関心がないのでしょうか。
むしろ、この記録をバリー ボンズ選手の「薬物疑惑」に置き換えて、報じているようにボクには思われます。
…つまり、「彼の記録は八百長だ」と言わんばかりです。

確かに、バリー ボンズ選手には「疑い」はかかっています。それは、あくまでも「薬物疑惑」であって、「本塁打疑惑」ではないとボクは思うのです。
この「疑い」は、バリー ボンズ選手だけに限りません。
いまでは、そして1998年に70本の本塁打を打ったマーク・マグワイア選手(通算583本)と同年66本の本塁打のサミー・ソーサ選手。2001年にはバリー・ボンズ選手が73本の本塁打を打っていますが、彼らの記録に「待った!」が、かけられそうです。
…「*」の印が付けられるかもしれません。

当時、MLBでは禁止されていなかったものの薬物の使用を認めています。
ルールがはっきりしていない… 
この曖昧さが、悲劇の始まりではないでしょうか。
もっと言えば、なぜ、彼らがそこまでしなければならなかったのか、という議論がボクは欲しいのです。

問題は、この点、ルールが不明確、に在るように思うのです…

2002年からいきなりMLBでも、「ドーピング疑惑」という言葉が入ってきました。
マーク・マグワイア選手が、2004年の薬物疑惑スキャンダルで米議会で証人喚問された際、薬物使用を問われ、「過去の自分の行為は現在のスキャンダルとは無関係なのでお答えできません」と涙まじりに議員に懇願した様子はニュース番組でも報じられました。マーク・マグワイア選手は殿堂入りしていませんが、「悪人」なのでしょうか?

米国の場合、「ドーピング(興奮剤)」イコール「ドラッグ(覚醒剤)」のイメージのようです。
蜂蜜もコーヒーも、お酒もチョコレートだって「ドーピング」です。覚醒剤とは違っています。
そして、この底の流れている伝説を感じるのです。それは、ベーブの記録の神格化、だと思えてならないのです…
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この悲劇は1961年に、ヤンキースで起きました…。

ロジャー・マリス選手のことです。
この年、シーズン最後のカードになったボストンレッドソックス戦で61本の本塁打を打ち、あの偉大なるベーブ・ルース選手の60本塁打の記録を遂に更新したのです。

が、しかし…。

当時ベースボールコミッショナーだったフォード・フィリック氏はロジャー・マリス選手の本塁打記録を公式には認めませんでした。

「61*」

と、記録ブックに書き込んだのです。「*」とは、「参考記録として」の意味あいからこの印をつけたようです。MLBの公式記録として認められたのは、ロジャー・マリス選手の死後1991年になったからのことなのです…

なぜ、こんな悲劇が大リーグで起きたのでしょうか?

そこには、「ベーブ・ルース選手の60本塁打」に対する神格化があったからだとボクは思っています。ベーブ・ルース選手は確かに偉大でした。ベースボールを米国の国民的スポーツに育てた人物ですから。ルー・ゲーリッグ選手でさえ、彼の脇役としての印象です。

ベーブ・ルース選手が活躍していた頃のリーグ戦は154試合でした。しかし、ロジャー・マリス選手が61本の本塁打を打ったのは、リーグ戦162試合、現在と同じです。

あの頃のヤンキースは「Mickey Mantle's team」と、メディアは書きたてていました。そして、移籍したロジャー・マリス選手とミッキー・マントル選手を「M & M Boys」と書きたてて、あたかもふたりを張り合わせるような記事を掲載していたようです。
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ロジャー・マリス選手は比較的、ニューヨークのメディアには受けが良くなかったようでした。
後にロジャー・マリス選手の苦悩を証言したチームメイトによれば「あの頃、ロジャー・マリスはメディアの対応に苦悩していた。なぜ私が、不機嫌な人間とか無愛想な選手と書かれるのか、と」
ミッキー・マントル選手でさえ、ジョー・ディマジオ選手の後継者として頭角を現しはじめた頃、スポーツメディアは批判的だった。しかし、ミッキー・マントルは陽気だったこともあって、次第に好意的な記事になっていたようです。

メディアが選手の人柄を創る…

そして、1961年。
ニューヨークスポーツ記者ディック・ヤングが、「たとえ60本を超えても、ベーブの記録を154試合で更新しなければ、認められまい」と、記事にしています。
試合数を、ルールの物差しにしたのです。
「ウッソッ~ じゃあ、各球場の広さだって当時とは違うだろう、よ」って言いたくもなりますよ、ね。

これを受けて、コミッショナーが「154試合以後の記録は、すべて参考記録とする」と声明を出したのです。
いかに、ベーブの記録を擁護しようとしているか、お分かりの通りです。ベーブを犯してはいけないのです、米国大リーグでは…
日本には、王選手の「55」が今では神格化されつつあるような気がしますが…


61年、「M & M Boys」はメディアの期待通り、本塁打を量産しました。ところが、ミッキーがシーズン途中に伝染病にかかって、後半の試合を棒に振ったのです。人気者が脱落してしまったのです。
さほど人気のないロジャーがひとりがんばりました。

しかし、メディアは「 "outsider", and "not a true Yankee."」と書きたて続けました。そのせいで、ロジャー選手は円形脱毛症にもなったと、後にチームメイトがコメントしています。
この表現は、現在のA・ロッド選手も書かれたことがありましたが、いまではそれも無くなりましたね。


a0094890_315925.jpgロジャー選手は、クロアチアからの移民の子でした。
22歳、1957年にクリーブランド・インディアンスでメジャーデビューを果たし、58年のシーズン途中からカンサスシティアスレチックスに移籍。25歳の1960年にニューヨーク・ヤンキースに移籍しました。同年から2年連続でMVPを獲得してます。また、歴代ヤンキースの右翼手で最も守備が上手いと称され、1960年にはゴールドグラブ賞に選ばれている名選手です…。

ところで、当時の選手の生活はどうだったでしょうか?

年間1000万ドルプレーヤーを「一流選手」という現在の大リーグ選手の生活ぶりとは、比較になりません。低所得でした。
1960年代の一流選手だったミッキーもロジャーも、ごくごく平凡な家庭生活でした。
とくに家族を持っていたロジャー選手は一般市民と同じ、ありふれた我が家で子供たちと暮らしていたようです。高級地に豪邸、豪華マンションなんて当時の選手たちには考えられなかったのです。遠征先でも、豪華ホテルの宿泊なんて、夢のまた夢。2,3人で同じ部屋に泊まって経費を浮かしていました。
ニューヨーク生活では、ミッキー選手らと共同の生活が出来る家を借りていたと聞きました。
ロジャー選手の楽しみと言えば、家族への電話の時間だったようです…

今日、大リーグの選手たちが「高年俸」と言いますが、こうした収入の改善も彼らの「遺産」と言えるのではないだろうかと、ボクは思れるのです。

では、当時の選手たちの「夢」はなんだったのでしょうか?

ボクは、記録、だと思うのです。
自分が大リーグに在籍して、なにを残せるか…なにを成し遂げられたか、生きた証、が欲しかったのではないか…と、ボクは思います。

26歳のロジャー選手は1961年、61本塁打を放ち、ベーブ・ルースの持つ当時のシーズン最多本塁打記録を破ったと言う歴史的事実です。
このことが、ロジャー・マリス選手の、なににも代え難い生きた証、ではないでしょうか?

「61」とは書かずに、「61*」

それは、ロジャー・マリス選手には屈辱的だったかもしれませんが、彼はこのことに多くを語りませんでした。
結局、ヤンキースでは不幸な野球人生を送ってしまう形となり、1967年にセントルイス・カージナルスに移籍し、翌68年、33歳という若さでユニフォームを脱いで、愛する家族の元に帰りました。

1998年にマーク・マグワイアとサミー・ソーサが右打者として、2001年にはバリー・ボンズが左打者としてそれぞれ、マリスの記録を破っています。

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しかし、ボンズらはいずれも薬物使用を疑われているため、今後、マリスの記録が公式に復活する可能性もありうるのです。

ロジャー・マリス選手は、1985年にテキサス州で癌のため51歳の若さで死去しました。

前年1984年、古巣ヤンキースでは彼の背番号「9番」を永久欠番に指定しています。
                                            …NY152…
by mlb5533 | 2006-05-10 02:57 | 永久欠番