「美」についての私論

やっぱり、思い切って書いちゃうことにします…。
題は、ズバリ!
『松井秀喜選手の「美」について…の私論』

子供の頃から好きなことは、音楽と映像だ。松井選手たちのような「体育会系」とは、無縁の人生を過ごしてきた。確か、小学校の4年生だったか…。お恥ずかしい話で恐縮だが、運動会の「かけっこ」で3等になったことがある。ゴールしたら、先生がボクの手を取り、3等の旗の前に連れて行った…。旗に並んだとき、思わず涙が出たことをまだ忘れずに覚えている。それほど、うれしかった。よろこびを我慢できず、涙が流れちゃったという訳だ。
自分自身「体操は苦手」の意識がはなはだ強い。第一、いまだに自転車には乗ろうとさえしない。子供の頃、挑戦はしてみたが、転んで大変痛かったので、それ以来あんな痛い思いするくらいならと、懲りてやめた。自転車を乗りこなす友だちには羨望の眼差しだった。「手、放してる! すげぇ~」

中学、高校と進むにつれて一層体操とは、縁が薄くなっていく。
とくに、オリンピックや甲子園、世界ナントカ大会など、各スポーツ種目がテレビ中継され、新聞各社でもその活躍ぶりが報じられるが、関心がわかなかった。むしろ、自分なりに疑問が起きた。
「なぜ、勝つとか、勝てとか、これほど強調するのだろうか…」
という、疑問だった。「スポーツって、なんで、勝つことにあんなに熱をあげるの?」
そんな疑問を親に尋ねたこともあった…。「勝つ」、いつしかこの言葉を聞くだけでも嫌気がさした。「格闘」「血みどろ」「満身創痍」「我慢」「忍耐」「たたきのめす」「勝って当然」「金以外はドロ」「期待に応えろ」「やれば出来る」…こんな言葉が罷り通っているのが、スポーツの世界だとボクはあの頃そう思っていた。こんな言葉たちにボクはちっとも「美」を感じなかったのである。

その反対に、音楽とのかかわりは長い。
数えてみたら、長すぎて、自分に呆れた。映像ははじめ、映画が好きになったことから始まった。これも数えたら、ずいぶん長い年月なので、呆れてしまう…。最近では、道楽で毎年夏に自作の「ファミリーコンサート」を演出している。二期会のメンバーにはだいぶ「お世話」になっている。

音楽と野球…。共通するアイテムは、ボクには見つからない。それぞれ、明らかに別のものだ。

だが、こじつけてみることは出来そうだ。そう思い始めたのは、最近のことである。
音楽は勉強すればするほど「社会と似ている」って、感じる。アンサンブル、の精神がない人たちと音楽は出来ない。この精神が音楽家に無くては、いいサウンズが生まれてこない。自分だけが目立ちたい、という人は音楽の世界にも多くいるが、こういう人はなかなか舞台に立つ機会は少ない。自分の立場(パート)を心得ているか否かは、音楽と関わる人間には、大変重大な意識である。これは、演劇も、ミュージカルを創るときも同様だ。
で最近、野球も同じだなあと、見ていて思うようになった。
そういう思いをボクに抱かせてくれたのが、「ヤンキース松井秀喜選手」だった。

a0094890_16193231.gifそれぞれに、役割があるんだ、ということを知ってから見方が変わった。オペラは出逢った時から好きになってしまったが、アンサンブルとアリアとの形式がどうなっているのかなどの「音楽的ルール」を知ってからのオペラでは、聴き方見方が明らかに違いが出た。
「勝ち負け」の野球観戦から、「いかに勝負しているか」を見定めて観戦するようになったからだ。この変化はボクにとって大きい変化だった。

松井秀喜選手。
その試合の初めての打席では、決まって初球を見逃すバッター、というイメージがボクには強い。見逃す、という表現よりも、見て観察している、というべきか。キャッチーミットに入るまで、その視線を白球から離さない。観察して、なにかを測定しているかのように、ボクには見える。
その姿がボクには、音楽で言う「ピッチ」の聞き分けに似ている…。音楽を志す人は、耳が目になっているからだ。「なんだよぉ~、いい球なのに、マツイ、セッキョク的にいけ! 大丈夫なのかぁ?」と、心ない人々は松井選手のその姿に罵声を浴びせる。ボクは、そんな声を聞くと、ニヤリと微笑む。「チューニング、さッ。彼独特の…。わかんなくていいよ…アンタたちには」などと、自己満足できる時でもある。
ボクにはこの彼の見逃す姿がなんとも「美しい像」なのである。自信を感じるのだ、打者としての。打席に立った松井選手は、あたかも舞台に上がった主役のようでもある。「ここは、オレの舞台、じっとしてなさい」と言わんばかりの熱情まで伝わってくる。打席の中で、バタバタして落ち着かない打者もいるが、松井選手に限っては「東京G」時代から、それを感じさせない。ドッシリとして見える。

打席での安定したパターンから、自信という「美しさ」が映って見えるのだ。

松井選手が安打したときだが、体が必ず「人」の文字になっている。
この字が崩れると、なかなか安打にはなっていないことも、彼を追いかけているうちに見分けられるようになった。美しい「人」の文字になっていればいるほど、白球は遠くに飛んでいく…。銀座伊東屋で毎年松井選手のカレンダーが創られている。ボクは2004年から今年間でのカレンダーをこのアパートの壁に掛けてあるが、表紙になっている彼のバッティングフォームは、「人」の文字、の姿に映る。残念なことに、来年のカレンダーは発売されなかった。「あのこと」で、写真が充分にそろわなかったのだろう。

野球はスポーツだから、所詮勝ち負け、がつきもの。勝つときもあれば、負ける日もある。
負ければ、誰だって気分が悪い。そんなとき、自分を悪化するか、誰かを責めたくもなる…。
ところが、である。松井選手は違っていた。負けた試合であっても、平気な顔でメディアの取材を受けている。「…ええ、悔しいけど、仕方ない」「今日は、相手チームの力がまさっていたと言うことでしょう」と、相手のチームをたたえるコメントまでする。「明日、見てくださいよ」と言い残す。なんとなく、なのだかボクは松井選手の言葉に「希望と夢」を置かれたような気分になるのである。不思議な感覚、である。いままでに出逢ったことのないスポーツマン、なのだ。

太平洋を渡ったことがボクにもある。
経済記者として、ひとりでニューヨークで暮らしいていた。大嫌いなアメリカ、だった。英語を知らない記者だった。なにが民主国家だ、いざとなれば外交も国政も経済活動も、そして貿易だって力づくで決着させる国のくせに…よく、いうよ、自由国家とは。と、当時のボクはアメリカをそう見ていた。
悪いことをしても「ごめんなさい」とは、決して言わない国アメリカ。お金がすべての国アメリカ、権力国家アメリカ、常に勝利国でいたいアメリカ…いやだ、いやだこんな国、と思っていたし、行くこと無い国の言葉を覚える気もなかった。それよりボクはフランスに憧れていた。学生時代、アメリカ映画は見たことがない。フランス映画ばかり見ていた…。
卒業後、新聞社に入社して、まさか経済担当記者になるとは。経済…そのメッカは、そう資本主義大国アメリカ、である。ボクは、この国に来た自分の人生の悪戯に腹が立つほどだった。落ち込んだり、日本が恋しくなったりした。そんなとき、友だちがボクをビレッジに誘ってくれた。ミュージカルの切符をくれ、その人と見に行った。ホームパーティーにも誘ってくれた。いろんな話を友だちとして、気が紛れた。ある日、ボクは自分のアパートで涙が止まらなかった晩がある。
自分の中に「高慢と偏見」が潜んでいたことを発見せざるを得なかったからだ。落ち込んでいるボクを励まし、力づけてくれたのはNYの友だち。アメリカ人だ。ボクは彼等を出逢う前から嫌いだ、と言ってきた。そんな自分が恥ずかしかった…。
ボクはあの記者生活で、学生時代に学べなかったものを学んだ。「自由と愛」である。アメリカの人々の底辺に流れている生活感でもあることをボクは思い知らされた。

松井選手が「裏切り者と言われるかもしれませんが、ヤンキースに入団します」と宣言した言葉にボクは、あの頃の自分の「夢」と彼の「夢」が重なった気がした…。松井選手がニューヨークで生活するのかぁ…という親近感すら沸いたのである。そして、同時に「夢」を叶えて欲しい! との応援さえしたくなってきたのだ。あの記者会見でおそらく、松井選手はもう二度と日本で野球をすることがないなッ、とも感じた。アメリカ、それもニューヨークで生活するとなれば…きっと素晴らしい仲間たちと出逢ってしまうだろうから、と。ボクがそうだったように…。否応なしに英語で話さざるを得なくなる。始めは、仲間たちに笑われる。でも、中には彼の英語をかばってくれる人もいる。始めのうちは失敗するだろう、彼は。日本人を見かけると話しかけたくなることだろう…。日本料理が恋しくなるだろう…。地下鉄に迷わずに乗れるか? FAIRWAYで買い物出来るかな? などなど、自分がしでかした失敗の数々を松井選手のNY生活とダブらせてしまった…。それほど、親近感が沸いたのである。

で、忘れることはない。松井選手がヤンキースタジアムに初めて立った日のことを。
打った打球はライトスタンド上段まで飛んでいった。満塁ホームラン!
このブログのヘッダーに使っている松井選手の写真は、その時の瞬間の映像である。
「東洋から来た日本人ルーキーが、ヤンキース100年の歴史を塗り替えた瞬間」でもある。
これをボクは、「美」と呼びたい。
ボクが初めてスポーツの世界で、音楽や演劇と同類の感動をおこさせてくれた人、それが
「松井秀喜選手」
です。

ニューヨークという土地柄とヤンキースという球団。派手で元気いっぱい。なんでもあり、だ。
自由が歩く街であり、ポケットに5ドルしかなくても(失礼! せめて10ドルはあった方がいいかも…あちこち行くんであれば…)威張って歩ける(はず)。その中に、どこか静けさを感じる松井秀喜選手がいる。このハーモニーが、この組み合わせが、ボクには愉快でたまらない。ボーイソプラノはジータ選手にお任せしましょうよ。ついでに、オナゴたちも。松井選手はバリトン担当だ。しっかりと底からハーモニーを支える。プロ好みのサウンズを創ってくれる選手。アンサンブルの幅が広がる。

この原稿を書いている途中、話題の「松坂投手」がボストンレッドソックスと交渉することが決まった、というニュースが飛び込んできた。で、ボクは想像する。
きっと日本は今以上に、大リーグに関心が集まるだろう、と。そして、ブログの世界にも「松坂投手」を応援する個人のブログが氾濫するだろうと…。なんと、素敵な現象ではないか。

ニューヨークとボストン。紺と赤。音楽の街と学業の街。個性派と勤勉派。激しさと穏やかさ。そして、「松井秀喜選手と松坂大輔投手」の人生。どちらも目が離せなくなってきた。
いずれにせよ、来季の大リーグは井川投手の行き先も含めて、ここ日本でも今季以上の「熱」が高まることはもう間違えない。松坂投手もまた、ボクに「夢」を見せてくれる投手になることでしょう。果たして、ボストンに移籍が決定するのかどうかはまだはっきりしないけれど、どうやら松坂投手は来季大リーグのマウンドに立つことだけは、はっきりした。

日本の野球選手たちが太平洋を渡る、それぞれが「夢」を抱いて。その「夢」がボクたち野球ファンの心まで、一緒になって太平洋を渡らせる。「夢」が、「夢たち」に膨らんでいく…。

そんな「夢」を感じさせてくれるものすべてを「美しさ」、と、ボクは呼びたいのですよ。
現実的な「夢」、それが存在することをボクに教えてくれた人。勝負の世界に、ドラマがあることを教えてくれた人。太陽の下、大地に「夢」が置かれていることをボクに教えてくれた人。
その人の名を、
「松井秀喜選手」
と言います…。
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…NY152…
by mlb5533 | 2006-11-15 16:18 | 第三章