「600」の物語 …ケン グリフィ Jr.の笑顔…

a0094890_1282929.jpg知らなかった…。シアトルのともだちは、きっと呆れていることだろう。

ほんとうに、知らなかった。

ケン グリフィ Jr.が、
600号ホームランを打っていた事実を、このブログにいまのいままで記録していなかったことに、ボクはMLBファンとして、自分が恥ずかしい。

「ケン グリフィ Jr.」
今後これほど「メッセージを贈ってくれる選手」が、MLBの舞台に現れるか…。

「野球とは、仲間たちであり、そしてボクの家族なんだ」と強烈に、力いっぱい、それを繰り返し叫び続けてくれる選手…。



父と子…。
ベースボールゲームからアメリカ社会の健全さを感じさせてくれる選手、その選手の名前を
「ケン グリフィ Jr.」という。
おそらく、彼の肉体はもはや、ぼろぼろになっているはずだ。
今年11月で彼は39歳になる。

マリナーズ時代、90年8月にはレッズからマリナーズに移籍した父親と大リーグ史上初めての親子ふたりでスタメン。9月には、親子2者連続ホームランという「夢試合」をファンに記憶させてくれた。
97年、98年2年連続56ホームランを記録。翌年99年48本のホームランを打ち、3年連続リーグホームラン王に輝いているのだが…。
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「あの事故」は95年だった。
マリナーズファンは顔面蒼白になった。左手首の骨折だ。フェンスに激突して、あの事故が起きた。松井選手の事故と実によく似ている。ケン グリフィ Jr.はガッツを失うことはなかった。全力でプレーする姿が、ボクだけではなく、彼のファンが共通して彼に抱いている魅力でもある。そして、なんといってもいつまでも変わらないあの少年のような童顔。いつまでたっても彼は「野球少年」の顔。これがまた、彼のファンにとっては、いい、のだ。

99年オフ。フロリダの家族のそばで野球がしたいとの希望を出す。マリナーズから8年1億3500万ドルの契約提示をしたが、トレードを志願。結局、父がいたレッズに、9年1億1650万ドルで契約した。1年1300万ドルの選手だから、松井選手とほぼ同じランクの選手といえる。

一方、マリナーズにはA・ロッド選手がチームメイトにいた。
彼も打ったが、その人気はケン グリフィ Jr.を超えることはなかった。そして、A・ロッド選手の記録もまた、ケン グリフィ Jr.を上回ることもなかった。

ケン グリフィ Jr.が去った翌年2000年オフ。A・ロッド選手は10年で2億5200万ドルというスポーツ史上最高額契約を結んだ。「自分のように若くしてこれだけの才能があればこそのものであり、破るのは難しいだろう。デレクのような者でも無理だ。自分ほどのパワーも守備力もないからだ。彼は1億8000万ドルだろう、いや1億5000万ドルか」だの、ケン グリフィ Jr.が去ったときには、「これで我々は長打を打ちながら負けるというチームではなくなった。このチームは観戦していて面白くなるだろう」と、とにかく自己中心的なコメントが多かった。

ケン グリフィ Jr.は、背番号を変えた。24番から父が付けていた30番に。20004年6月20日の父の日にカージナルス戦で史上20人目となる通算500本塁打を達成した。右足の腱が断裂。その足には3本の金属ボルトが入っている。そして、05年、子供の数の3を背番号にしている。

家族と仲間たちのことを、「ベースボール物語」に託して世界の子供たちに話すとき、
「ケン グリフィ Jr.」は主役になる。
彼なくして「アメリカベースボール物語」の台本は書けまい。

a0094890_12501398.jpg2007年、センターからライトへ転向。6月22日のマリナーズ戦で、移籍以来実に8年ぶりに古巣の本拠地セーフコ・フィールドでプレーした。グリフィが打席に入るとシアトルのファンはスタンディング・オベーションの大歓迎。続くヒットにも大歓声を上げた。マリナーズの投手が牽制球を投げたら、ブーイングが起こっていた。

太平洋を越えて、大変に遅くなりましたが…いま、大声でボクはあなたにこういいます。

「ケン グリフィ Jr.殿 600号ホームラン おめでとうございます」



601号は、先日、A・ロッド選手のいるヤンキースとの対戦で打ってくれましたね…。

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…NY152…
by mlb5533 | 2008-06-24 12:37 | 第六章