打率1割の「データ」から

ヤンキースが連敗を脱した。
NYY 11-2 BAL
圧勝だった。
サンスポサイトには

テシェイラ1号ソロ、スウィシャー1号2ラン、カノ1号2ラン

「開幕4番」を任されながら3試合目で外れたことに、松井秀は「当然試合には出たいが、しょうがない。結果が出ていなければ当然」。ここまで安打は開幕戦の2点本塁打だけで10打数1安打。「状態はそんなに悪くないが、ちゃんと仕留められない」と話した。

と記され、松井選手が打率.100という「データ」では不十分と言いたげである。打率1割では仕方がないかも…、と、読者もあきらめて納得するしかない。

さて、この打率や打点、もっと細かく観察すると得点圏打率などベースボールには「データ」がたくさん存在する。盗塁やエラー、捕殺。投手の立場なら、投球数に対するストライク数、三振や四球などなど。
ベースボールには「データ」がつきものだ。
ところで、こうした「データ(記録)」はいつ頃から始まったのだろう…。

1871年、と言うと日本では明治3年ということになる。140年も昔のことだ。
ジェームズ・カーンズと言う人が会長になって、ニューヨークのカフェで「全米プロ野球選手協会」(以下ナショナル・アソシエーション)が組織されたというのだ。執務室ではなくて、カフェという場所が当時のベースボールがどんな状態だったのか察しがつく。この協会発足のおかげで、加盟チーム同士のリーグ戦を運営するようになる。
ただし、NAを現在のメジャーリーグとして扱うかどうか米国でも意見が分かれていたようだ。そして、1969年(昭和44年)に正式に「認めない」ことに決定。NAでの各選手たちの「記録」は、メジャー記録として現在その対象から外されている。

野球に限らず、とくにプロスポーツ界が「データ(記録)」を報じることで、新聞社と読者、そしてネタ元(この場合は各チーム、各選手)の間に繋がりが生まれた。
「スポーツジャーナリズム」の原点だろう。記事を書くときに、記者たちは様々な角度で「データ」を記している。とくに、ベースボールは他のスポーツに比べて「データ」が取りやすく、やがて読者もその数値の読み方に慣れて、知りたいとの要望が広まるまでの時間はさほどかからなかった。

この「データ(記録)」なるものの魅力を発見したアメリカスポーツジャーナリズムに感心する。
彼ら記者たちの「プロスポーツ観戦」の仕方である。勝ちと負け、のみ報じることではなく、試合中に各選手が「いつ」「誰が」「なにを」「どのように」を無機質な数値という「データ」に書き込んで記事にまとめた。「数値」を持ち込んだのである。数そのものは無機質なのだが、「なぜ?」に説得力が生じる。だから、スポーツ記者たちは各試合に興奮や感動を添えた記事に仕上げられた。「物語」を創り出せた。
いまになって改めて彼ら大先輩たちの「アイディア」と「観戦の着目」に、感心してしまう。
もし、勝敗結果だけだったとしたら刹那的になりすぎはしまいか。「物語」が生まれなかったら、現在のように世界中にスポーツ観戦者が増えていただろうか…とも思う。「データ」が整っているスポーツに限って、おしゃれであり、人気が高くないだろうか…。

いまでこそ野球の試合結果などの「データ」は読者にとっては、当然であり常識、なのだろうがその昔々、これに着目した記者がいたことにボクは感動する。勝敗結果のみ報じて済むのなら「表組み」にすれば事足りる。しかし、読者にはおもしろ味はまったくない。試合に「データ」を記することで、「物語」が出来上がって、おもしろ味が生まれる。記事を読みたくなる、新聞が売れる、そのスポーツに観客が集まる…という経済効果が出来上がる。これは、スゴイ結果だとボクは思う。

ベースボールは必ずしも「データ」通りの結果にはならないからこそ、「物語」が存在する。いや、その存在がボクにはワクワクするし、また「夢」を育んでくれる。たとえ、打率1割の打者であっても、防御率1点台以下、三振奪取王の投手から満塁ホームランを絶対に打てないという確証はないのだから。
打率1割の打者がもし、そんな事をしたら「大ニュース」になる。大ニュースになれる価値があるのは、「データ」が存在するからだ。逆に.350以上の打率を誇った打者が、防御率5点台の投手に4打席連続三振なんてこともまた、「大ニュース」になるわけだから。

昔々1934年(昭和9年)、ヤンキースのベーブ・ルースやルー・ゲーリッグなどの名選手が来日した。
この時、巨人軍沢村栄治投手(彼の背番号「14」は巨人軍の永久欠番に指定)は読売新聞社主催による日米野球の全日本チームに参戦。12月に静岡県草薙球場で開かれたアメリカメジャーリーグ選抜軍との対戦でベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスを三振にしとめるなどの好投を見せたことが「データ」として日本全国の新聞読者に報じられ、その歴史が「物語」として現在まで残っている。
この沢村投手の歴史的「データ」は「偉業」として当時讃えられ、ここから現在の日本プロ野球の歴史が始まった、と言える。遠いあの日から今日まで、75年間かけて日本人は「プロ野球」を育んできたことになる。長嶋茂雄、王貞治などの数々のスター選手、名投手たちがその「データ」を更新し続けて、やがて「わが夢」をたずさえて太平洋を渡った野茂英雄、鈴木一朗、松井秀喜と繋がっている…。
彼らはボクたちに日々「データ」を送り続けてくれる。

人気blogランキングへ!
クリック よろしく

…NY152…
by mlb5533 | 2009-04-10 12:10 | 第七章