あと、4つ…

そう、あと、4つ…である。

まだ肌寒い米国東部の4月初旬から、吐く息すら白々する9月下旬までの半年間、東西時差3時間の北米大陸を渡って戦った試合数は、162試合。休養らしい日々もないまま、時には深夜零時を過ぎても戦い続けた。体への負担はボクたちには想像を超えていることだろう。
これだけ戦って、ヤンキースは103勝を挙げた。東部地区での優勝チームになった。
話しはここで終わらない。次には、アメリカンリーグ優勝を賭けて、まずはミネソタツインズと対戦、3連勝した。いよいよリーグ優勝決定戦に駒を進めた。相手は苦手といわれたエンジェルスだったが、3勝1敗で破り、6年ぶり40回目のリーグ優勝を達成して、ワールドシリーズ進出を決めた。

あと、4つ。
2000年以来の栄光が戻ってくる。松井選手自身は03年以来のワールドシリーズ進出であり、あと4勝さえすれば7年間の大リーグ人生で、初の栄光をつかむことができる。
松井選手にとっても、ヤンキースとっても今季ここまでの道程は長く、険しかったことをボクたちは知っている。栄光まで、あと少し…だ。わずか、4勝さえすればいいのだから。

巨人軍4番打者という日本プロ野球界で最高の勲章を胸の奥に仕舞い込んでまで、太平洋を渡った松井選手。それにはきっと、訳があったことだろう。おそらく、彼には「夢」があったに違いない…。
その「夢」を現実にするために、太平洋を渡ったのだろう…、ボクは、そう思いたかった。
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上記の写真は03年4月8日、本拠地開幕戦ミネソタ・ツインズ戦で前打者のバーニー・ウィリアムスが敬遠された後、3-2からジョー・メイズ投手の球を右翼席に放った満塁ホームランである。大リーグ移籍後初の本塁打だ。

ルーキーがホームグランド「Yankee Stadium」初試合で満塁弾を打ち込んだのである。この快挙はヤンキース百年の歴史の中で、彼が史上初めてとなった。
松井秀喜選手の大リーガーとしての年輪はこの年、このホームランから始まったといえよう。
03年のヤンキースは、激戦が続いた。ルーキーでありながら、100打点以上をたたき出した松井選手。ホームランよりも打率を上げて打点にこだわった。この年、ボストンとはまさに激闘そのもの。球史に残る優勝戦として記憶に残った。マルチネス投手から打った2塁打、生還してホームベース上で高々とジャンプした松井選手の姿は翌日のメディアに写真入りで記事になったほどだった。
だが、ワールドシリーズまで進出まで上り詰めたものの、マーリンズに2勝4敗。あと、2つ…というところまで来ていたのに、夢はここで途絶えてしまった…。

松井選手がヤンキースに移籍してから、ボクの私生活はずいぶん変わった。それまでの数年間はお昼頃に起床していたし、床に就くのは午前3時頃か…。
授業の講義で気になっている箇所の調べもので時間を使っていたり、DVDの新作映画を数本見続けたりと勝手な生活を過ごしていた。目が覚めた時間が、ボクにとってはその日の朝だった。コーヒーメーカーをオンして、フラフラと洗面。白いマグカップに珈琲を注ぎ、それを持って歩き、椅子に座って、PCをオンする。立ち上がる僅かな時間に熱い珈琲をすすりながら、タバコを一服する。
その生活リズムが長い間続いていた…。

ところがこの7年間、Yankeesの松井選手の活躍が気になって仕方がない。仕事が重ならない限り、早起きしてNHKのBS中継がいま一番の楽しみになった。
実はボクもかつてニューヨークで生活していたことがある。あの地下鉄の臭いと騒音が蘇ってくる。行きつけだったスーパー「FAIRWAY」と「ZABAR’S」、コロンビア大近くの大聖堂、散歩に使ったフラワーガーデン…などなどアッパーウエストが蘇ったのは、松井選手のヤンキース移籍のおかげである。活気がボクの人生に復活した。正直、彼が巨人軍にいた頃はそこまで強い関心はなかった。
「ヤンキースに行きます」
との記者会見で、ボクはハッとした。
「そう、あなたもNYで生活するんだぁ」と、なにか親近感を感じた。「いい友だちが出来るといいね」とさえ感じるほどの身近な存在に思えた。彼はまだあの頃、独身だったから無性にそう思えたのかも知れない。スポーツと音楽、舞台とビジネス、出逢いと別れ…なんでも盛りだくさん存在する街、ニューヨーク。活気に溢れ、そのくせ影が長く伸びた夕暮れには、街の喧噪が静まって安らぎが訪れる。オベリスクのような摩天楼と近代建築の高層ビルが共存する不思議な空間都市ニューヨーク…。ボクもかつてはあそこでひとり、経済記者として生活していたことを蘇らせてくれたのは松井選手だった。

彼は野球界ではエリート人生を過ごしている人に違いない。高校野球では名門・星稜高校での四番打者。プロでは読売ジャイアンツの四番打者。数多くの勲章を獲得した実力は正真正銘一級の選手。
そして、こともあろうに大リーグの移籍先は「ニューヨークヤンキース」である。あらゆるプロスポーツ界での最高峰と言える。
常にこの人は名門チームに在籍して活躍してきた。
そんな松井秀喜選手とは、どんな選手なのだろうという関心がはじめて自分に芽生えたのは、あの大リーグ移籍の記者発表でのことだった。ひとりの人間として、ボクには映った。「夢」を持っている、と感じたからだ。彼がいう移籍は簡単なコメントだった。だが日本球界の事情やチーム事情等々きっとここに至るまでの道程はそんな簡単ではなかったろうに、とも察する。様々な障害を乗り越えても太平洋を渡ると決断したほんとうの理由は「頂点のチームで栄光を掴んでみたい」という若者らしい「夢」を捨て切れなかったのだろう。それでいい、とボクは思う。

子供の頃、人は将来なりたいもの、したいことを夢見て作文にしたり友だちに語る。大リーグの選手とか、バレリーナとか、宇宙パイロットとか…。しかし、人は年輪を蓄え大人になるにつれて、そんな夢を見失う。子供の頃の夢を叶えた人は一体何人いるだろうか。そう思えば、ますますボクはこの松井秀喜選手に声援を送りたくなってきたのである。
「追いかけろ! 自分の夢を!」と。

しばらくして、記者根性が抜けきらないボクはこの選手のことを、あれこれ取材してみた。
するとおもしろいデータにぶつかった。それは、
「個人成績よりもチーム勝利にこだわっている」選手である、という結論がボクなりに出せた。
この考え方はプロに入った巨人軍時代からではなく、高校時代からか、いやもっと以前の幼年期まで遡るようだ。宗教家でもある実父の教育にまで遡る。他人の悪口を言うのはウサ晴らしにもなって、ときには愉快感さえともなう。まして、子供時分ならなおのことだろう。だが、秀喜少年が実父の前でなにげなく人の悪口を言うと、しっかりとそれを止めて実父は息子・秀喜少年に仲間の大切さを諭したという。「人の悪口は言いません」と約束したと聞く。

そのせいか松井選手は記者たちに、こんなコメントをしている。
「10打数10安打してヤンキースが優勝できないより、10打数10三振してヤンキースが勝った方がいい」とチームの勝利、仲間たちとの共有を優先する。
まだ巨人軍時代でのことだ。こんなことがあった。2001年5月23日、東京ドームでのヤクルト戦でのことだ。単打が出ればサイクルヒット達成という状況の8回の5打席でヒットを打ったが、一塁ベースを蹴って二塁に進んでしまった。つまり、個人記録よりもチームの勝利を優先する選手、といえる。
ヤンキース1年目のキャンプ中にトーリ監督が「エンドランのサインを出してもいいか?」と訊ねた。松井選手は平然と「何でもしますよ」と答えたという。日本では50本を記録するほどのホームラン打者だったのに、メジャー移籍以降、ホームランが少ないことに対してもトーリ監督は「マツイはチームのためにヒット量産に移行した」と記者団にコメントしていた。

「いい数字を残しても、チームにとってためになるとは限らない。そういう選手には、なりたくない」
「野球がもしも個人成績を全く争わないスポーツだったら?」という問いに対しても、「全然構わない。勝つためにプレーしているわけだから、チームが勝てばそれでいいです」、「タイトルを獲得しようと思って野球をしたことはありませんよ」
これが松井選手の野球哲学、不動の姿勢であることを実感したのはヤンキースに移籍してからますますそう実感する。

一方で、「メジャーでも、打撃3部門のいずれかでタイトルを争えるような選手になりたい」ともいう。
一見矛盾しているようだが、実はそうではない。高いレベルの個人成績も併せ持つ選手を目指している、という意思の表れである。
強いチームに所属していたら、さほど活躍しなくても優勝の栄光は配分される。そう言う選手もいるのかも知れないが、松井選手は自分もチームの勝利に貢献する、そんな活躍をしてはじめてチーム力を語れる選手になれる、という考え方が土台になってのコメントである。
「寄らば大樹の陰」という存在ではない。「矢面に立って戦える選手」であり、その結果仲間たちと友に「夢」を掴んでみようという意気込みである。そんな人物像が取材してみると浮き上がってくる…・
おもしろい選手ではないか。古めかしい選手ではないか。でも、こういう選手はそうそうお目にかかれない。社会の中でも、少なくなった。

究極の目標とは、チームがワールドシリーズを制覇することに他ならない。その輪の中に松井秀喜選手は、いたい、と夢見る…。おそらく…だが、これが達成した時、松井選手は本気で大騒ぎすることだろう。03年のあの日、ホームベース上でジャンプした時のように。
あれだけチームメイトが大騒ぎしているリーグ優勝のなかでも、カメラに写る松井選手は笑顔があってもまだなにかありそうな感じに見える。
「まだ4つありますから」
というコメントが正直な感想なのだろう。

所属球団のヤンキースには強い愛着を抱いているとのことだ。
05年、契約延長が成立した際「ピンストライプのユニフォームを着て、ヤンキー・スタジアムでプレーできることは最高に幸せです」とコメントしている。「ヤンキースが一番好きだし、ヤンキースでプレーしたいけど、それがかなわないなら仕方ないという割り切りも持っています」不要論が囁かれていたときの言葉である。

今日、男たちの「夢舞台」がスタートした。舞台はニューヨーク・ヤンキースタジアムである。
演目は「大リーグワールドシリーズ」だ。台本は、ない。4つ勝ったチームが幕を引くことが出来る。
そして今日、ヤンキースは昨年の覇者フィラデルフィアフィリーズに大敗した。松井選手は1安打したがカノー選手の打球がワンバウンドしたと判断したが、それは間違いだった…。

さあ、明日は大変な試合になる。相手チームの先発投手はヤンキースにとってはあの因縁の元ボストンに所属していたマルチネス投手だ。
03年の再現をしてくれるか、松井選手。なんとしても明日は負けられない。
いずれにしても第3戦から第5戦はNLルール。DH制はない。松井選手をベンチに置いておく余裕はないだろう。となれば、久々に松井選手の守備もあり得る。それはすべてあの「夢」を仲間たちと分かちあうために…。
あと、4つ勝ちさえすれば、それでいい!
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上記の写真は03年3月31日、開幕戦トロント・ブルージェイズ戦で5番レフトで先発出場して、初回にメジャーを代表する右腕ハラデイ投手からレフト前へのタイムリーヒットを放ち、初打席・初安打・初打点を記録した。ここから「松井秀喜選手の夢伝説」が始まった。

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by mlb5533 | 2009-10-30 02:16 | 第七章