ふくらむ「夢物語」の数々…

大リーグには、物語がたくさん秘められている…。時が経てば、物語にはさらに膨らんで、夢物語になっていく。どんな世界でも、そうだ。史劇などはまさにこれだろう。

2009年は結局、ヤンキース・松井秀喜選手の物語が語り告げられていくことだろう。
手首を骨折して、さらには両膝を痛めて再起が危ぶまれDH専門の打者として復活したこの年。ヤンキースタジアムは新しい球場に生まれ変わってスタートした今シーズンだった。そんななかで松井選手はシーズン中でもサラナラを含めて記憶に残る打撃を続けた。そして、ワールドシリーズでは6打点の記録に残る活躍で、ヤンキースを9年ぶりの栄冠を勝ち取る原動力だった。語り継がれることだろう…。

2004年のシーズンもまた、大リーグファンには記憶に残るシーズンだった。なにせ、ヤンキースは3連勝したのにレッドソックスの4連勝で屈辱的敗北。レッドソックスはその勢いのままワールドシリーズを制覇。バンビーノの呪いから1918年以来の優勝を遂げたシーズンだった。
また、シアトルマリナーズのイチロー選手が258安打を打ってジョージ・シスラー選手の記録を超えたのもこの年の10月2日だった。エドガー・マルチネス選手の引退試合でもあった。マリナーズは04年は最下位。99敗でシーズンを終えた。イチロー選手は262安打でこのシーズンを終わっている。
10月2日の試合相手はテキサスレンジャースだった。
ショートにはあの安打製造マイケル・ヤング選手が3番を打ち、1塁ベースにはテシェイラ選手は4番を打っていた。
あの試合で、先制2ランホームランを打ち込んだのはテシェイラ選手だった。いま思い返すと、おもしろい。やがてあの試合から月日が流れて、4年後の2009年テシェイラ選手はヤンキースに移籍することになるとは、あの頃予想するのは「夢物語」だったろう。当時23歳であり、デビューしてまだ2シーズン目だった。アトランタ、エンジェルスに移籍して落ち着かなかったテシェイラ選手は2009年、ヤンキースが将来の大砲として白羽の矢を立て今季大活躍してくれた…。

マリナーズの設立は1977年(昭和52年)で新しい球団である。
永久欠番もない歴史の浅いチームである。しかし、背番号「11番」マリナーズ一筋のマルチネス選手、そして帰って来た「24番」シアトルの王様・ケン・グリフィージュニア…などは永久欠番に指定されることだろう。もちろん、鈴木一朗選手「51番」も、である。

ジュニアが来季、マリナーズと選手として契約した。
シアトルの新聞のみならず、この朗報は日本のメディアも伝えている。ジュニアは今シーズン終了と同時に、膝の内視鏡の手術をしたというニュースがあったから、ボクは「ジュニア、来季もやる気だな」という予感がしていた。これでまた、彼独特のあの華麗に伸びるスイングが見られるのが楽しい。膝の故障さえなければ、手首の骨折さえなければハンク・アーロン選手の本塁打記録をとっくに塗り替えていただろうに…。
ボクは昔からジュニアと松井選手がダブる。ともにチームプレーヤーである点。ジュニアはみんなもよく知っているように、アットホームが信条。まさに、アメリカ的生活をしている。松井選手は地元では記念館を建てて子供たちに夢物語を提供しているし、里親になって支援を続けているように奉仕活動を積極的にする人物。どこか、武士道的礼儀正しさを身につけている。ともに、ナショナリティーを失っていない、とボクには見える。それがたまらなく、いい、のだ。あげく、両者ともにおんなじ箇所を怪我している…。

そして、両者ともに国家を代表するホームランバッターであることだ。
まだ健在のうちにこの両者がホームラン競争に出場させたいものだと夢を見ることがある。
今年、あれだけ記憶に残るホームランをWSで見せた松井選手だ。そんな夢を見せたのはボクひとりだけではないだろうに…。

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by mlb5533 | 2009-11-17 01:19 | 第七章