WBC出場辞退の選択

WBC出場は?

各スポーツ紙でも、松井選手の動向を報じていた…

「松井どうする?米紙も決断関心」
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 WBC出場への態度を保留するヤンキース松井について、米地元紙も決断に関心を寄せた。ニューヨーク・タイムズ電子版は10日、代理人のアーン・テレム氏に近況動向を取材。同氏は「おそらく(WBCで)プレーしたいと思っている」としたが、「ケガの心配や、果たして(大会から)戻ってヤンキースで162試合プレーできるかを言っていた」と迷う松井の胸の内を代弁した。


…と、した翌日にこの記事。

「ヤンキースGM、Aロッドの意向尊重」

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 地元紙にWBC出場辞退の意思を明かしたヤンキースのA・ロドリゲス三塁手が、キャッシュマンGMにも電話でWBC不参加の意向を伝えていたことが分かった。同GMは「昨日(15日)電話をもらった。僕にできるのは、この件について沈黙を守ることだけ」と話し、同選手の意向を尊重する姿勢を見せた。また、ポサダ捕手のプエルトリコ代表への不参加要請は認められたが、その他に誰の不参加を要請しているかについては明言を避けた。

…で、追い打ちをかけて…翌日の新聞には、

「A・ロッドがWBC不参加表明!松井秀の不参加も加速か」
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ヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手(30)=写真=が、来年3月に開催される野球の国別対抗戦「ワールドベースボールクラシック」(WBC)への不参加を決意した。16日付の「ニューヨーク・ポスト」紙が報じた。同じヤ軍の松井秀喜外野手(31)の不参加も加速しそうだ。

米国とドミニカ、2つの“母国”の間で揺れ動いたロドリゲスが、来年3月のWBCへの不参加を表明した。

「家族とよく考えた末、出ないことを決めた。どちらで参加しても(選ばなかった国の)名を汚すという結論に達した。ヤンキースのためにプレーすることは、どちらの国に対しても誇れることだと思う」

今月上旬のウインターミーティングでは参加が発表され、国籍をもつ米国と両親の故郷であるドミニカのどちらで代表入りするか注目されていた。ニューヨークの地元ラジオ局のインタビューではドミニカ代表入りをほのめかしていたが、態度を一変させた。

ヤ軍ではホルヘ・ポサダ捕手(34)に続く出場辞退。ヤ軍から不参加を促す親書が届いたといわれるゴジラが、今月中にも下すとみられる最終決断にも影響は必至。WBC不参加の可能性が、さらに高まった。

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もともと、WBC出場にはヤンキースのシェフィールド選手も語っているとおり、「その開催動機が理解しにくいし、開催時期も問題で、実現しにくい」

プロ野球と、サッカーとは違う… サッカーのように各国とも選手のレベルが平均化していて、4年に1度の「ワールドシリーズ」を目指して戦う行程と、ベースボールの世界は違う。
仮に、WBCで優勝したからと言っても…どうだろうか?

松井選手のWBC出場は、ボクのようなヤンキースファンならずとも消極的なのではなかろうか…
松井選手は、今年1000万ドルプレーヤーの仲間入りした選手。ヤンキースの中軸を打つ選手だ。
162試合、立て続けに出場しなければならない。彼はまた、その連続出場記録を大切にしている。
その上、トレード拒否権を持っている。拒否権を持っているのは、投手ではムッシーナ、R.ジョンソン、リベラ。野手では、ジータにA.ロッド、ジョンビの計6人だ。全員、ヤンキースの看板選手である。松井選手は、来シーズンからこの仲間に加わったということなのだ。

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ポサーダ捕手でさえ、球団はトレード拒否権を与えていないのだ。シェフールド選手も、である。
と言うことは、松井選手にとってのヤンキースは、今までとは立場が違う。
今までは、ニッポンから来た「助っ人サン」だった。まあ、言葉は悪いが大リーグに「稼ぎに来た選手」という立場だった。
しかし、もう違う。彼は、名実ともに押しも押されぬ「ヤンキースの顔」になったのである。
当然、松井選手は今までのシーズン以上に「主軸の責任」を感じているはずだ。

ヤンキースは、日本リーグ制する巨人軍、とは、そのスケールは違いすぎる。
ワールドシリーズ制覇が、「義務」になっているチームだ。162試合の他に、10月決戦まで駒を進めて、さらにワールドシリーズで4勝しなければならない。

その体力管理は、我々の想像を超えている。
WBC出場は、3月…。だから、出られない。というのが、本音だろう。

a0094890_15225131.jpgそして、松井選手がWBC出場をしなくても、彼を理解している人ならば誰ひとり否定も批判もしないだろう。むしろ、WBC出場辞退、の選択をして欲しい…

そして、来シーズンこそ、冗談抜きで「ワールドシリーズ制覇」を果たしてほしいものだ。
ヤンキースのために全力をふるってプレーすることは、それ自体、彼のためであり、ニッポンの誇りでもある。
すでに5年間、遠ざっかてしまった「チャンピオンフラッグ」を取り戻してきて欲しい…。

(掲載の写真はYahoo!sportsサイトより)
…NY152…
by mlb5533 | 2005-12-19 03:15 | 第一章

Yankee Stadium

日本時間で、2003年6月8日の朝だった…。
この日、我がヤンキースに入団した松井秀喜外野手が、5号ソロ本塁打を打った!
しかし、この日に限ってNHKのBS1ではその試合を中継していなかったから、その瞬間を見られなかったのが残念でしかたない。

松井選手がヤンキースに行ってから、ボクの私生活はずいぶん変わった。
それまでの数年間は、お昼頃に起床していたし、床につくのは午前3時頃だったか… 授業の講義で気になっている箇所の調べもので時間を使っていたり、DVDの新作映画を数本見続けたり。そして、目が覚めた時間が、ボクにとっては、その日の朝だった。
起床するとまず、コーヒーメーカーをオンして、フラフラと洗面。白いマグカップにコーヒーを注ぎ、それを持って歩き、椅子に座って、PCをオンする。立ち上がる僅かな時間に熱いコーヒーをすすりながら、タバコを一服する。その生活リズムが長い間続いていた…

この生活リズムがいいのか、悪いのかと言う是非論は後にして、いまやYankeesの松井選手の活躍が気になっているのだ。

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           2003年3月31日初安打! ここから「伝説」は始まった

朝8時から始まるNHKのBS1「大リーグYankees戦」中継を見ないと、落ち着かなくなった。時々、他のチームの中継になってしまって、Yankeesの試合があってもその中継がない。長年Yankeesと付き合いの深いボクにとっては、そんなときいささか機嫌が悪い…

松井秀喜選手が、まだ巨人軍に在籍していた頃は、いまほど注目はしていなかった。
東京の渋谷で生まれ育ったボクは、子供時分から「巨人軍」を友だちにしてきた。生粋の巨人ファンであることは間違えない。父親や先輩たちから、後楽園球場や神宮球場に連れて行ってもらったものだが、それでも、現在ほど松井選手を注目するようなことはなかった。ひとりの選手に意識が向くことはなかったのだ。

ボクが「巨人ファン」の看板を下ろしたのは、やはり、長嶋さんがもういなくなったからだと思う…
そして、松井選手もその翌年、アメリカに渡ってしまった。
記者会見で、彼はこう言っていた。
「ヤンキースに入団します」と。
ボクは我が耳を疑った。なになに、松井選手がYankeesに行くって? ホント??

この瞬間から、ボクは自分の中に隠れて眠ったままだった「New York」が目を覚ました。
そして、この日から松井選手をプロ野球選手としてではなくて、ボクはひとりの人間として彼を見るようになった…

‘80年代、経済記者をしていた頃、ひとりでアメリカに行ったことがある。
ろくに英語も話せなかったボクが、ひとりNYのアパートから取材する日々を過ごした。
失敗ばかりだった。レストランでのマナーも知らなかったし、第一、地下鉄の乗り方すらわかっていなかった。バスを使って移動するなんて、出来るわけもない。
あの頃ボクは、アメリカが大嫌いだった。いや、もっと若かった小学生頃から、アメリカが嫌いだった。
アメリカの歴史を知るほどに、嫌気が増した。だから、英語は学ぶ気がしなかった。どうせ行くこともない国の言葉を学んでも、意味がないから。
それよりも、フランス、とくにパリにあこがれを抱いた。イタリアにも関心を持ち、ロシア文学にも興味を持った。映画は、フランスかイタリア映画を好んで見、アメリカ映画は見ようともしなかった。

記者になったら、一層その気持ちは強くなった。結局は、国政でも、経済政策でも、外交問題でも最後は力ずくじゃないか。なにが民主国家か、と嘆く。
そんなボクが、なんの因果かNYひとり旅。その後数年間、東京とNYをなんども往復することになっていく…
ある日、気がついた。
ボクが落ち込んだときでも、淋しそうにしていたとき…ビレッジに誘ってくれたのは、NYの友だちだった。ホームパーティーに誘ってくれたのも彼らだった。映画に連れて行ってくれたのも、ミュージカルの切符を手配してくれたのも、そして…「Yankee Stadium」との出会いと、その歴史を熱っぽく語ってくれたのも、みんなみんなNYで知り合った友だち。つまり、アメリカ人だった。
彼らは、ボクの中に「高慢と偏見」があったことに気づかせてくれた。

              2003年4月8日、大リーグ1号は満塁弾!
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ボクの学生時代…
イタリアから美術を学んだ。ドイツから古典音楽を学び、フランスから哲学を学んだ。ロシアから文学を学び、イギリスからは舞台芸術を学んだ。アメリカからは学ぶものがないと思っていた…
しかし、NYで生活したことでボクは学校では学べないものを学べた。
それは「愛と自由」だ。かけがえのないものになった。
おかげで、いまでも第二の故郷「アメリカ」には、年に何回か行く。友だちに会うために…



a0094890_1593249.jpgNew York 2003年、9月28日。
この日、ボクはYankeeStadiumにいた。ウェルス投手の200勝達成を見られたことはうれしい。松井選手は1打席だけDHの出場だったが、それでもきっちりと安打してくれたことが誇らしい。
ボクがこの目で初めて見た「ヤンキース松井選手」の「生ヒット」でもある。
あれ以後、ボクは友だちとYankee Stadiumに通っている。日本から、わざわざ見に行くほど、松井選手が気にかかる。

巨人軍の4番打者という日本プロ野球界での最高の勲章を棚に上げてまで、太平洋を渡った松井選手。
きっと、彼には「夢」があったに違いない…
その「夢」を現実にするために、太平洋を渡ったのだろう… ボクは、そう思いたかった。

上記の写真は、松井選手がヤンキースタジアムで打った満塁ホームラン。彼にとって、大リーグ本塁打1号である。
ヤンキース百年の歴史の中で、ルーキーがホームグランド「Yankee Stadium」初試合で満塁弾をスタンドに打ち込んだのは、彼が史上初めてである…

…NY152…

(松井選手の写真はYahoo!sportsサイトより)
by mlb5533 | 2005-12-08 03:34 | 第一章