「美」についての私論

やっぱり、思い切って書いちゃうことにします…。
題は、ズバリ!
『松井秀喜選手の「美」について…の私論』

子供の頃から好きなことは、音楽と映像だ。松井選手たちのような「体育会系」とは、無縁の人生を過ごしてきた。確か、小学校の4年生だったか…。お恥ずかしい話で恐縮だが、運動会の「かけっこ」で3等になったことがある。ゴールしたら、先生がボクの手を取り、3等の旗の前に連れて行った…。旗に並んだとき、思わず涙が出たことをまだ忘れずに覚えている。それほど、うれしかった。よろこびを我慢できず、涙が流れちゃったという訳だ。
自分自身「体操は苦手」の意識がはなはだ強い。第一、いまだに自転車には乗ろうとさえしない。子供の頃、挑戦はしてみたが、転んで大変痛かったので、それ以来あんな痛い思いするくらいならと、懲りてやめた。自転車を乗りこなす友だちには羨望の眼差しだった。「手、放してる! すげぇ~」

中学、高校と進むにつれて一層体操とは、縁が薄くなっていく。
とくに、オリンピックや甲子園、世界ナントカ大会など、各スポーツ種目がテレビ中継され、新聞各社でもその活躍ぶりが報じられるが、関心がわかなかった。むしろ、自分なりに疑問が起きた。
「なぜ、勝つとか、勝てとか、これほど強調するのだろうか…」
という、疑問だった。「スポーツって、なんで、勝つことにあんなに熱をあげるの?」
そんな疑問を親に尋ねたこともあった…。「勝つ」、いつしかこの言葉を聞くだけでも嫌気がさした。「格闘」「血みどろ」「満身創痍」「我慢」「忍耐」「たたきのめす」「勝って当然」「金以外はドロ」「期待に応えろ」「やれば出来る」…こんな言葉が罷り通っているのが、スポーツの世界だとボクはあの頃そう思っていた。こんな言葉たちにボクはちっとも「美」を感じなかったのである。

その反対に、音楽とのかかわりは長い。
数えてみたら、長すぎて、自分に呆れた。映像ははじめ、映画が好きになったことから始まった。これも数えたら、ずいぶん長い年月なので、呆れてしまう…。最近では、道楽で毎年夏に自作の「ファミリーコンサート」を演出している。二期会のメンバーにはだいぶ「お世話」になっている。

音楽と野球…。共通するアイテムは、ボクには見つからない。それぞれ、明らかに別のものだ。

だが、こじつけてみることは出来そうだ。そう思い始めたのは、最近のことである。
音楽は勉強すればするほど「社会と似ている」って、感じる。アンサンブル、の精神がない人たちと音楽は出来ない。この精神が音楽家に無くては、いいサウンズが生まれてこない。自分だけが目立ちたい、という人は音楽の世界にも多くいるが、こういう人はなかなか舞台に立つ機会は少ない。自分の立場(パート)を心得ているか否かは、音楽と関わる人間には、大変重大な意識である。これは、演劇も、ミュージカルを創るときも同様だ。
で最近、野球も同じだなあと、見ていて思うようになった。
そういう思いをボクに抱かせてくれたのが、「ヤンキース松井秀喜選手」だった。

a0094890_16193231.gifそれぞれに、役割があるんだ、ということを知ってから見方が変わった。オペラは出逢った時から好きになってしまったが、アンサンブルとアリアとの形式がどうなっているのかなどの「音楽的ルール」を知ってからのオペラでは、聴き方見方が明らかに違いが出た。
「勝ち負け」の野球観戦から、「いかに勝負しているか」を見定めて観戦するようになったからだ。この変化はボクにとって大きい変化だった。

松井秀喜選手。
その試合の初めての打席では、決まって初球を見逃すバッター、というイメージがボクには強い。見逃す、という表現よりも、見て観察している、というべきか。キャッチーミットに入るまで、その視線を白球から離さない。観察して、なにかを測定しているかのように、ボクには見える。
その姿がボクには、音楽で言う「ピッチ」の聞き分けに似ている…。音楽を志す人は、耳が目になっているからだ。「なんだよぉ~、いい球なのに、マツイ、セッキョク的にいけ! 大丈夫なのかぁ?」と、心ない人々は松井選手のその姿に罵声を浴びせる。ボクは、そんな声を聞くと、ニヤリと微笑む。「チューニング、さッ。彼独特の…。わかんなくていいよ…アンタたちには」などと、自己満足できる時でもある。
ボクにはこの彼の見逃す姿がなんとも「美しい像」なのである。自信を感じるのだ、打者としての。打席に立った松井選手は、あたかも舞台に上がった主役のようでもある。「ここは、オレの舞台、じっとしてなさい」と言わんばかりの熱情まで伝わってくる。打席の中で、バタバタして落ち着かない打者もいるが、松井選手に限っては「東京G」時代から、それを感じさせない。ドッシリとして見える。

打席での安定したパターンから、自信という「美しさ」が映って見えるのだ。

松井選手が安打したときだが、体が必ず「人」の文字になっている。
この字が崩れると、なかなか安打にはなっていないことも、彼を追いかけているうちに見分けられるようになった。美しい「人」の文字になっていればいるほど、白球は遠くに飛んでいく…。銀座伊東屋で毎年松井選手のカレンダーが創られている。ボクは2004年から今年間でのカレンダーをこのアパートの壁に掛けてあるが、表紙になっている彼のバッティングフォームは、「人」の文字、の姿に映る。残念なことに、来年のカレンダーは発売されなかった。「あのこと」で、写真が充分にそろわなかったのだろう。

野球はスポーツだから、所詮勝ち負け、がつきもの。勝つときもあれば、負ける日もある。
負ければ、誰だって気分が悪い。そんなとき、自分を悪化するか、誰かを責めたくもなる…。
ところが、である。松井選手は違っていた。負けた試合であっても、平気な顔でメディアの取材を受けている。「…ええ、悔しいけど、仕方ない」「今日は、相手チームの力がまさっていたと言うことでしょう」と、相手のチームをたたえるコメントまでする。「明日、見てくださいよ」と言い残す。なんとなく、なのだかボクは松井選手の言葉に「希望と夢」を置かれたような気分になるのである。不思議な感覚、である。いままでに出逢ったことのないスポーツマン、なのだ。

太平洋を渡ったことがボクにもある。
経済記者として、ひとりでニューヨークで暮らしいていた。大嫌いなアメリカ、だった。英語を知らない記者だった。なにが民主国家だ、いざとなれば外交も国政も経済活動も、そして貿易だって力づくで決着させる国のくせに…よく、いうよ、自由国家とは。と、当時のボクはアメリカをそう見ていた。
悪いことをしても「ごめんなさい」とは、決して言わない国アメリカ。お金がすべての国アメリカ、権力国家アメリカ、常に勝利国でいたいアメリカ…いやだ、いやだこんな国、と思っていたし、行くこと無い国の言葉を覚える気もなかった。それよりボクはフランスに憧れていた。学生時代、アメリカ映画は見たことがない。フランス映画ばかり見ていた…。
卒業後、新聞社に入社して、まさか経済担当記者になるとは。経済…そのメッカは、そう資本主義大国アメリカ、である。ボクは、この国に来た自分の人生の悪戯に腹が立つほどだった。落ち込んだり、日本が恋しくなったりした。そんなとき、友だちがボクをビレッジに誘ってくれた。ミュージカルの切符をくれ、その人と見に行った。ホームパーティーにも誘ってくれた。いろんな話を友だちとして、気が紛れた。ある日、ボクは自分のアパートで涙が止まらなかった晩がある。
自分の中に「高慢と偏見」が潜んでいたことを発見せざるを得なかったからだ。落ち込んでいるボクを励まし、力づけてくれたのはNYの友だち。アメリカ人だ。ボクは彼等を出逢う前から嫌いだ、と言ってきた。そんな自分が恥ずかしかった…。
ボクはあの記者生活で、学生時代に学べなかったものを学んだ。「自由と愛」である。アメリカの人々の底辺に流れている生活感でもあることをボクは思い知らされた。

松井選手が「裏切り者と言われるかもしれませんが、ヤンキースに入団します」と宣言した言葉にボクは、あの頃の自分の「夢」と彼の「夢」が重なった気がした…。松井選手がニューヨークで生活するのかぁ…という親近感すら沸いたのである。そして、同時に「夢」を叶えて欲しい! との応援さえしたくなってきたのだ。あの記者会見でおそらく、松井選手はもう二度と日本で野球をすることがないなッ、とも感じた。アメリカ、それもニューヨークで生活するとなれば…きっと素晴らしい仲間たちと出逢ってしまうだろうから、と。ボクがそうだったように…。否応なしに英語で話さざるを得なくなる。始めは、仲間たちに笑われる。でも、中には彼の英語をかばってくれる人もいる。始めのうちは失敗するだろう、彼は。日本人を見かけると話しかけたくなることだろう…。日本料理が恋しくなるだろう…。地下鉄に迷わずに乗れるか? FAIRWAYで買い物出来るかな? などなど、自分がしでかした失敗の数々を松井選手のNY生活とダブらせてしまった…。それほど、親近感が沸いたのである。

で、忘れることはない。松井選手がヤンキースタジアムに初めて立った日のことを。
打った打球はライトスタンド上段まで飛んでいった。満塁ホームラン!
このブログのヘッダーに使っている松井選手の写真は、その時の瞬間の映像である。
「東洋から来た日本人ルーキーが、ヤンキース100年の歴史を塗り替えた瞬間」でもある。
これをボクは、「美」と呼びたい。
ボクが初めてスポーツの世界で、音楽や演劇と同類の感動をおこさせてくれた人、それが
「松井秀喜選手」
です。

ニューヨークという土地柄とヤンキースという球団。派手で元気いっぱい。なんでもあり、だ。
自由が歩く街であり、ポケットに5ドルしかなくても(失礼! せめて10ドルはあった方がいいかも…あちこち行くんであれば…)威張って歩ける(はず)。その中に、どこか静けさを感じる松井秀喜選手がいる。このハーモニーが、この組み合わせが、ボクには愉快でたまらない。ボーイソプラノはジータ選手にお任せしましょうよ。ついでに、オナゴたちも。松井選手はバリトン担当だ。しっかりと底からハーモニーを支える。プロ好みのサウンズを創ってくれる選手。アンサンブルの幅が広がる。

この原稿を書いている途中、話題の「松坂投手」がボストンレッドソックスと交渉することが決まった、というニュースが飛び込んできた。で、ボクは想像する。
きっと日本は今以上に、大リーグに関心が集まるだろう、と。そして、ブログの世界にも「松坂投手」を応援する個人のブログが氾濫するだろうと…。なんと、素敵な現象ではないか。

ニューヨークとボストン。紺と赤。音楽の街と学業の街。個性派と勤勉派。激しさと穏やかさ。そして、「松井秀喜選手と松坂大輔投手」の人生。どちらも目が離せなくなってきた。
いずれにせよ、来季の大リーグは井川投手の行き先も含めて、ここ日本でも今季以上の「熱」が高まることはもう間違えない。松坂投手もまた、ボクに「夢」を見せてくれる投手になることでしょう。果たして、ボストンに移籍が決定するのかどうかはまだはっきりしないけれど、どうやら松坂投手は来季大リーグのマウンドに立つことだけは、はっきりした。

日本の野球選手たちが太平洋を渡る、それぞれが「夢」を抱いて。その「夢」がボクたち野球ファンの心まで、一緒になって太平洋を渡らせる。「夢」が、「夢たち」に膨らんでいく…。

そんな「夢」を感じさせてくれるものすべてを「美しさ」、と、ボクは呼びたいのですよ。
現実的な「夢」、それが存在することをボクに教えてくれた人。勝負の世界に、ドラマがあることを教えてくれた人。太陽の下、大地に「夢」が置かれていることをボクに教えてくれた人。
その人の名を、
「松井秀喜選手」
と言います…。
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…NY152…
by mlb5533 | 2006-11-15 16:18 | 第三章

君はひとりじゃない…

ボクの通った小学校は渋谷駅から徒歩10分程度の距離にあった。
現在、その小学校は跡形もない。壊された跡地には、東急デパート本店と渋谷文化村が出来た。

渋谷の繁華街近くにあったから、様々な生活環境の違った子供たちが通学していたものだ。
恋文横町にあった「餃子屋」の女の子、「衣料品店」の息子。円山町の「下駄屋」のお嬢さんに、「芸子さん」の娘に息子。松涛町からは「銀行」の息子、宇田川町からはボクのような「土建業」の息子に、「会社員」の娘たち…。丘の上にあった「白い教会」から娘たちが…、「易者」の兄妹…、それに「美容室」の息子…など。様々な生活環境の違った子供たちが、ボクの小学校には通っていたものだった。

小学校4年の頃だったか、授業がすむと、子供たちは示し合わせたようにあちらこちらから各人の自転車に乗って、駒場まで走り抜ける。途中、松涛町の坂をあがることになるのだが、この坂道がキツかった。そんな思いをしてまでやりたかったのは、野球、である。場所は、東大グランド、だ。

野球と言っても、ソフトボールである。軟球でもなければ、いわんや硬球でもない。
ボクはよく、ピッチャーをさせられた。下から投げる、アレである。
三振という高等なルールがない。とにかく、打者に打たせてあげるのがピッチャーの役割だったから
「いい球」とは、打ちやすい球、を言う。バットを振り回しても、なかなか当たらないような球を投げると「誰か、変われよ!」と文句を言われる…。

a0094890_1623538.gif女の子たちも参加していた。スカートの裾をパンツの中にしまい込んで、彼女たちはバットを振り回す。もの凄くよく打つ女の子がいたが、彼女は大きくなって選んだ大学は日体大だった。…2年生の時、難病にかかって病死した。彼女は、野球も水泳も群を抜いて上手だった。「貸本屋」の娘さんだった。

「畳屋」の息子は、かけっこが速い。だから、運動会ではいつもクラス代表のリレーの選手として、先生に指名される。4人チームで走るのだが、この息子は毎年アンカーを走った。鉄棒も滅法上手で、5年生なのに、大車輪をやってのけた。…しかし、グローブと自転車を持っていなかった。ボクは放課後、自転車でこの息子の家に寄る。「東大で野球しようよ!」そう言って、誘う。この息子がボクを後ろに乗せて、松涛町の坂道を一気に登ってくれた。それがボクには気持ちいい。「すげぇ~~、一気じゃん!」
でも、「銀行」の息子と「歯医者」の息子は、なぜかこの息子を仲間に入れない。「グローブないヤツは、あぶない」というのが、その理由だった。アッタマにくる、こいつら! しかし、残念なことに勉学の成績は畳屋の息子は下の下で、嫌みな奴らは、上の上。
だから、ボクは「ピッチャー、やらせろよ。いい球投げるから、さッ」
結局、「銀行」と「歯医者」の息子たちは、「畳屋」の息子の投げる速い球に全くバットがあたらず仕舞い、…だった。

日が暮れて、また東大グランドへ…。
ひとつのことを、みんなでやってみる。その楽しさは、ボクの場合は子供の頃に培われていた…。

「畳屋」の息子は、中学なったとき、どこかに引っ越しして渋谷からいなくなった…。


松井選手が、最近、日本の小学生たちに「メッセージ」を送った。
「君はひとりじゃない」と。「愛されているんだよ」とも、語っている。
そして、アメリカにいる子供たちには、「今度は優勝報告で来られるといいね」とも伝えてきたという。
松井秀喜。子供たちにとっては「ヒーロー」。自分の部屋に「松井選手」のポスターを飾っている少年だっていることだろう。その「ヒーロー」がいま、現実に自分の目の前にいて、語りかけている。

もし、ボクがあの頃、目の前に「長嶋茂雄」がいて、語りかけてくれたら…きっと、一生の想い出になったことだろう。
松井選手は、子供たちと写真を撮ったり、握手したり、質問に答えたり…と。松井選手のひとつひとつの「言葉」が、そこにいた子供たちには、「一生の宝物」として記憶に残ったに違いない。

子供たちに「お礼」を言う松井選手の姿がボクには、自分の子供時代を思い返してくれた…。
そして、現実に松井選手の「ナマの言葉」に触れた子供たちは、彼の姿を「永遠」にしたことだろう。こういうことを率先して実行する松井秀喜選手に、ボクはまた一層親近感が増してくる…。

野球の時代… こんな言い方は、もはや古めかしい言葉になってしまったのか…。

「野球」という言葉を聞くと、ボクは渋谷の夕焼け色が浮かんでくる…。
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by mlb5533 | 2006-11-12 04:45 | 第一章

オガチャン様
TBって、trackbackのことでしょ? やめた訳じゃないんです。あれを入れていると、ヘンな…というか、結構コワイPRサイトが入り込んで、いちいち削除するのが億劫になったのですよ。で、trackbackは、つけなくしました。ご迷惑をかけました…。

ボクは純粋に松坂投手のファンですよ。彼の恰好は、失礼だけど「マメタンク君」みたいじゃないですか。コロっとした体型に愛嬌を感じます。野球帽をハスにかぶって、ニヤッと笑って、ペロッと舌を出す…とくに、本塁打なんか打たれちゃったりすると…。ああいう「野球少年」そのままの姿は見ていて、可笑しいですよ。愛嬌がありますよね。かつて、巨人軍の長嶋さんがトンネルすると、右手を挙げて「ワリィワリィ~~」と、投手に向かって謝ったと言いますが、これもご愛嬌。しかし、ファンはそんな長嶋さんに「チョーサン! しっかりせんかい!」と、スタンドからガツンと言われたとか…。いい話だなあって、ボクは思います…。

なんていうか、余裕すら感じますから。ファンと選手が一体になって、「おらがチーム」を応援した時代がボクには、日本人の故郷、すら感じます。

ボクが言いたいのは、松坂投手の批判ではありません。「日本のメディア」のことです。
松坂投手をネタにして、直接取材をしないまま、勝手にMLBがどうした、争奪戦だから「値を上げろ」だの、という憶測と手短すぎる分析の報じ方、に疑問を感じるのですよ。あんな書き方してたら、ボクやオガチャンみたいな「ベースボールキチガイ」ですら、いい気持ちがしません。
第一、松坂投手をよく知らない人たちには「この子、何様のつもり!」って、声が上がるのは無理からぬ話になっちゃう。これから野球ファンになるかもしれない人たちや、大リーグに関心を持ち始めた人たちの心を、こんな報じ方をしたら、毛嫌いされちゃうのでは? 逆効果にはならないか? ということです。

松坂投手に、
「ボクがなぜ日本球界を去ってMLBに参加したか、ボクの気持ちを聞いてください」
というチャンスさえ、与えていない。
「松坂よ! お前はどこのチームで投げたいか? そして、その理由は?」
と、松坂投手の胸にしまってある「夢」を聞いてあげない…。或いは、松坂投手自身が日本のメディアに「本音」を言えないとしたら、それもまた日本のメディアに対して「困った関係」とも言えます。
で、報じていることは、「お金の話」。

もう少し、「日本のメディア」は野球ファンの気持ちを考えて欲しいものです…。という訳で、この記事を書きました。

ボクの「夢」はね、オガチャン、聞いてよ!
王建民と松坂投手が「オリエントコンビ」になって、レッドソックスをSweepしちゃうこと! 赤い靴下さん、ごめんなさいよぉ~。オルティーズ選手をキリキリ舞いさせちゃうこと! 
打たせて捕る王建民と、バッタバッタと三振を獲る松坂投手はいいコンビになるって…。想像しただけでも、胸が熱くなりますぞ、こりぁあ。我がヤンキース100年の歴史上「オリエント投手」がエース、なんて時代はなかった! もし、松坂投手がヤンキースのユニフォームを着られたとしたらですよ、YankeeStadium の雰囲気がホントに世界的ムードになってくる…。
素晴らしい「夢」じゃない!? これって…。 オガチャン、どう思います? 

そして…そして、松坂投手が大リーグ「ヤンキースタジアム」で初めて1勝出来た日、松井選手が笑って近寄ってあげて、マメタンク君の頭を撫でる…なんて光景…いかがでしょうか?

そんなファンたちの「夢」を膨らませてくれる報道が、現在のメディアから感じられないのですよ、残念です、ボクは…。
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by mlb5533 | 2006-11-08 12:16 | 第一章

「宝物」イコール「高額」と連想する人たちは、確かにいる。
ダイヤモンドなどの宝石や古物品に金銀財宝…などを「宝物」という人たちはいる。

日本の宝、という言い方や書き方をされるとボクは「国宝」を連想してしまう。日本の文化的芸術品であったり、歴史的な文献や造形物を想う。日本の「宝」である。
日本の宝物は、たとえ他国のコレクターたちが「高額」の値踏みがあっても、取引できるものではあるまい。更に言えば、「お金」で「換算」できないものであろう…。
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気になっているのは、最近の松坂投手の報じ方である。
日本のメディアによれば、松坂投手は日本球界の「至宝」…らしい。くどいようだが、日本のメディアによれば、である。従ってその価値は、「高額」に値するのだ、と言わんばかりの報じ方をしている。
20億円、いや30億…80億円との声も聞く、というのだ。長期契約になれば118億円相当になるかもしれないと、もはや日本のメディアによれば「松坂投手の値踏み」は天井知らず。

それにしても、摩訶不思議なお話ではないか…。
「至宝」だ、と言っておきながら、人手に渡す。それも「高額」なら…と、条件を付ける。
「低額」ならどうなるのだろう…と、疑問すら起きてくる。
ここに、子供心のような…「童心の夢」がない。実際、松坂投手自身「自分はナンボで買ってくれ。さもないと、日本で野球をする」と言っているのだろうか?

さらに気になるのはこのオフに多くの選手たちが「大リーグへ」と言う報道が相次いでいる。
38歳になった「東京G」の元エースが「大リーグも視野に入れて…」と言っているとの報道だが、なんだろうなあ…これって? って、疑問符が付いてしまう。日本球界ですでに通用しなくなった投手なのでは…? という疑問符だ。かつて、日本を代表するストッパー江夏投手がいたが、彼も選手生活の晩年は日本球界からオファーがなく、渡米して大リーグに挑戦したが、3Aにもオファーされることなく、結局帰国している。東京Gの元エースもそうなるのではなかろうか…と不安になる。
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Major League Baseball(MLB)とは、世界中に散在する野球人たちの「夢舞台」であり、現実の「物語」である。憧れて参加できる舞台でもなければ、自惚れも過大評価も、同情すら入り込む余地がない場所である。いわんや「おとぎ話の舞台」ではない、とボクは思っている。
打つ、走る、投げる、捕る…の基本動作そのものが「美」である人たちが集まり、彼らにのみ「夢」を追い求める資格が与えられている。それが、MLBだ、と。そして、彼らが自分の「夢」を追い求めて毎試合ごとに全力でプレーする姿を、まるで我が事のように錯覚できる「幻想」をファンに抱かせてくれるのも、また、彼らMLB選手たちの「仕事」でもある。従って、選手と観客の間にあるものは「夢」である。MLBの選手ひとりひとりと、スタンドで観戦する人たちは「共通の夢」で繋がっている…。

「夢」を見る資格がある、これがMLB選手になる最低条件なのだ。長年、大リーグを観戦して、ボクはそう思う。現実のお話、なのだ、この「夢」とは。なぜなら、「夢」とは「目標」だから。目標をヒットできる最低条件を満たしている人材か否か…。
では、「夢」が現実になったら何が彼に与えられるのか? 球団がデザインした「指輪」だそうである。指輪…でしかない。しかし、その指輪が放つ「環光」の輝きは、栄光そのものであり、生きた証に他ならない。歴史にその名を刻むという意味を含んでいる。
MLBのドラマとは、目を開けて見る男たちの「夢物語」である。

日本がダメならアメリカがある…か? いや、ない! 悲しいかな、それは…ない!

日本で「至宝」とまで言われている選手が日本球界を去って大リーグに行く、という最近の「傾向」を「習慣」になったら悲しい。それも「いかに高額」かを競うのは、さらに悲しくなる…。松井選手がヤンキースに入団した年、キューバから亡命したコントレラス投手は僅か2年で解雇され、シカゴホワイトソックスに移籍している。松井選手の入団など当時はさほどニューヨークのメディアには対象になっていなかった。それより、コントレラス投手の記事が踊っていたものだ。それも、目の玉が飛び出すほどの「高額」契約金だった…。しかし、1年目は7勝、2年目は8勝しか出来なかった。ファンとかわした「夢」が消えていった…。キューバの「至宝」でさえ、この結果だった。そのことを日本のメディアはわかっているのだろうか…。松坂投手をあれだけ持ち上げるだけ持ち上げておいて…。ファンたちの「夢」の見方を知っているのだろうか? なんとなく、だが、ボクは松坂投手が哀れでならない。男の価値を「お金」で値踏みするのか、と。もしそれが「いいことだ」と言うのなら、ずいぶんとお品のない人柄と思われるのでなかろうか。「高額で引き取ってくれる球団ならどこにでも」というのなら、是非ヤンキース以外にしていただきたい。ヤンキースを「野球商売」の当てにして欲しくない、とNYYのファンたちは言うだろう。
YankeeStadiumは、100年の歴史がある。100年間の「夢」が光っているスタジアムだ。「裏切り者といわれるだろうけれど、ヤンキースに!」と絞り出すように叫ぶ選手が「夢」を抱えて太平洋を渡ってくる来るのが、ヤンキースというチームの「美しさ」であり、「魔力的な輝き」である。ヤンキースとは「夢」の球団である。そんな球団に仕立て上げたのはフロントの努力もあろうが、それ以上に、選手とファンがお互いに「夢」を共有してきた歴史的背景が、ヤンキースをそんなチームに育て上げたのである。
「高額でその身を買ってもらった投手」が来るところではない。
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仮にそんな形で来たとしたら、NYYのファンたちからは「夢」の共有はなされないだろう。「所詮、金次第の選手」とのイメージがつきまとうのだから…。
松井選手の年俸は高額である。しかし、それも彼が実力で示してきたことを多くのファンたちは知っている。5月の「あの事故」もまた、チームへの貢献プレーだったからファンは松井選手の事故を憂いた。だから、復活した日、想像を絶するNYYファンの歓声が巻き起こったのである。さらに、その日、4打数4安打の神懸かり的打撃をヤンキースタジアムで披露している。もはや、あの日の出来事は「ヤンキースの伝説」になった。
「夢」が、生きていた!

「お金」で入団する選手は、MLBだから、それはいるだろう。しかし、そのぶんファンたちからは「夢」を差し引かれることを覚悟すべきである。A・ロッド選手がそうであるように。肝心の「10月シリーズ」で「調子が悪くて打てませんでした」では、ファンは憤る。納得したくない、のだ。それがファンたちの「夢」の見方なのである。

日本球界から太平洋を渡りたがっている選手が多くなった。それを日本のメディアも書き立てる。
が、各球団には「ファン」というもう「ひとりの選手」がいることを、知っておくべきではなかろうか…。とくに、MLBファンの「選手根性」はプロだと言うことを知るべきだ。「夢」でつながった選手たちのみを声援するということを…。

米大リーグは、今季の総入場者数が7604万3902人で、3年連続で最多記録を更新したと発表した。昨季より1・5%増えた。マイナー・リーグの入場者は4171万357人で、メジャーと合わせた観客は1億1775万4259人となる。この数は、おおよそ、日本の人口に匹敵する。ベースボールが米国国技と言われるゆえんだ。今季は24チームが200万人を超え、そのうち8チームが300万人を超えた。
ヤンキースは424万8067人で、2年続けてア・リーグ記録を上回った。
このほか約376万人のドジャース、約341万人のエンゼルスなどが球団記録を更新している。約293万人のレッドソックスは7年連続で球団新だった…。この数を、日本のスポーツメディアはなんと読むのだろうか。
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by mlb5533 | 2006-11-07 02:42 | 第一章