熱情的な真冬の静けさ…

年が明けたというのに、この鉛筆がなかなか動こうとしない…。
使い続けている4Bの鉛筆は、筆箱に並んだまま昨年の埃をかぶったままです。

動かない鉛筆。飾り物にしては、あまりにも汚れています。
書くことがない、書く話題が見つからない…。
そうです、松井秀喜選手のことです。

年末年始の恒例になっていたテレビ座談会のような番組にも、松井選手は今年、その姿を出すこともなかった。せいぜいテレビでの放映特番は、決まって「あの出来事」ばかりでした。見ているボクはもう、食傷気味。ボクがそうなら、多くの人たちも「他になにかないものか…」と、あきれていたに違いないと思います。

昨年十月を過ぎてたら、ほんとに、松井選手の話題がピタリとやんでしまった。松井選手の話題や情報が消えてしまっては、なにひとつボクは書けないではありませんか…。
どうしちゃったんだろう…松井選手は。
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銀座いとう屋のカレンダーも「2007年版松井選手」の発売も中止してしまった。「イチロー選手のカレンダーなら、あります」とのことだ。04,05,06年と三年間続いた彼のカレンダーが今年は止まってしまった。もっとも、ヤンキースの公式カレンダーにはもちろん掲載されてはいますが。
その上、不思議なことに毎年あれだけ松井選手を追いかけていた日本メディアも彼の取材結果を報じていない。相変わらず、松坂投手や桑田投手たちのニュースは連日のように報道しているというのに。

開幕まで、70日を切ったというのに。2月に入れば、もうキャンプだろうに…。
なぜだろうか…メディアが松井選手を報じないのは。
日本のメディアは今季に賭ける松井選手を取材してくれないつもりなのか…。

と、ほとほと寂しい思いが続いていたのですが、最近になってボクはこんなことを想像し始めています。メディアに登場しないのは、メディアのせいではなくて、ほんとうは松井選手自身が辞退しているのではないか…と思い始めたのです。


松井秀喜選手という「選手」ではなく、ひとりの「人間」として見てみると、こう思わざるを得ないのです。
大リーガー、それもヤンキースのレギュラーで、スター選手…として見ると、去年の話題は「あの出来事」以外の関心が起きてきません。シーズンを棒に振りそうだったけれども、劇的な復活を成し遂げた…云々、といった調子です。その上、チームは10月決戦で敗退。いいところなし。「選手、松井秀喜」として眺めてみると、まことに否定的な話題ばかりでした。

しかし、こんな見方も出来ます…。
「人間、松井秀喜」という視点です。

もちろんボクは一度も松井選手に会ったことはないけれど、あの出来事の直後の記者会見での彼のコメントにしても、松井選手から「自己責任」を感じるのです。
これは彼の人柄ではないでしょうか。
で、日本のメディアがお好みの「美談」もけっこう松井選手は持っているということですが、それもあえてお涙頂戴的な扱いを彼自身が避けているようにも感じます。


そこでボクの想像です。
きっと松井選手は…
『私は昨季、さほどチームに貢献出来なかった。球団側はあれほど自分を認めてくれた契約をしてくれたにもかかわらず、それに報いることをしていない。胸を張れるような記録を残せなかった自分が、ファンの前に立つことはできない』
と、「自己責任」の会話を自分にとっているのではないだろうか…と。
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そこで今季ですが、松井選手の心境を察してみることにしましょう。ボク流に…ですが。

2007年、ヤンキース入団5シーズン目を迎えます。松井選手がヤンキースに加入してから、まだ一度もワールドシリーズを制覇することがありません。もし、今季もヤンキースが「環光」を見ることがなかったとしたら、誇り高いチームが7年間も「光」を失うことになります…。7シーズンも、です。
これは許されません。

松井選手はきっと、初心に返って練習を積んでいると思います。
『裏切り者呼ばわりされても、なんのためにボクは太平洋を渡ったのか』…。それを確かめるように、きっと松井選手は真冬の日本のどこかで、それとも白いマンハッタンのどこかで、白球を相手に汗を流していることでしょう。
バットと球の衝突音がオベリスク・マンハッタンに響き渡る…
白い世界を白球が切り裂く…
制止した白の世界に透明な高熱が光る…
松井選手のバットだけが叫んで、静かな世界を創っている…
…そんな音たちがボクの耳に届いてくる。彼の真っ白なCommitment。

おそらく、今季の松井選手の姿はいままでの4シーズンでは見られなかったほどの並々ならぬ「闘争心」と「チームの為」の超人的プレーをボクに見せつけてくるのではなかろうか、そう思われて仕方がないのです。そのためのトレーニングを、どこかで、人目に触れず、こつこつと、じっと春を待つ緑草のように…蓄えているのではないかと思うのです。

もしかしたら、打撃フォームすら変えてくるかもしれない。
もしかしたら、本気で本塁打をねらってくるかもしれない。
もしかしたら、場合によっては、バンドだってしちゃうかもしれない。
もしかしたら、ボクが見たことのない「松井秀喜選手」を見せつけてくるかもしれない。
初心のあの「夢」のために…。

ボクにとっては、「松井選手」の話題がどこにも見あたらないこの静かな、静かな現在の大リーグ情報なのですが、この静けさがボクの「夢」に激しく火をつけてくるのです。
松井選手はいま、なにしているんだろうか…って。

なにをしているか…って?
きっと今日もまた、彼は今季プレーする為の体造りをしていることでしょう。こつこつ、と。春雷のように静かに、冬の日射しのように熱情的に。

そう、
初心のあの「夢」のために…
です。
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…NY152…
by mlb5533 | 2007-01-26 03:29 | 第三章

a0094890_15102086.jpgこの初春にまたひとり、自分の「夢」を追いかけて、太平洋を越えて大国アメリカに渡った日本人野球選手がいます。

その人の名前は、井川慶。27歳のルーキーです。

彼の「夢」を受け取ってくれたのは、ニューヨークヤンキースでした。ヤンキース球団側では彼の背番号に「29」を与えています。日本でプレーしたときと同じです。この背番号は彼にとってはきっと自分自身の「夢」の象徴であり、そして、彼にとってはこのうえなく愛しい背番号なのでしょう。「29」を背負って井川慶投手は、自分の野球人生をここまで歩き続けて来たのでから。

8日の記者会見で、井川投手は開口一番、
「伝統あるヤンキースのユニホームに袖を通して、緊張感があるし、やるぞという気持ちになった。(阪神時代と同じ背番号29は)球団の厚意で、本当にうれしく思う。自分のすべての力を出し切りたい」
と、球団のあたたかい配慮に感謝して、そして自分の今後のコミットを伝えていました。
その姿はまるで、入社したての新卒者そのもの。まぶしいほどのルーキー、です。

ヤンキース・ブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネジャーは、井川投手をどうしてヤンキース球団は欲しがったか、その理由を話してくれた。
「ポスティングというユニークな経緯での入団だが、昨季のセ・リーグの奪三振王を迎えられてうれしい。日本で成功した選手なので、米国でも大丈夫だろう」
…と。
「セ・リーグの奪三振王」としての期待です。果たして、井川投手が期待通りMLBの大舞台でも日本球界同様に「奪三振王」になれるかどうかは、まだまだ「夢の夢」にせよ、確かにブライアンGM同様にそんな「夢」をボクにも抱かせてくれる井川投手。
井川投手とレッドソックス打線…。オルティーズ選手との対戦…。これはもう、現実的です。
気の早い日本メディアは、3月1日(日本時間3月2日)のオープン戦対ツインズ初戦で、
「先発を志願。昨季の首位打者、ジョー・マウアー捕手(23)斬りで、先発ローテ入りをアピールする」
などなど、目先の話題集めを最優先しているようだけれど、ボクは井川投手が先発ローテーションに入ることを真っ先に願い、そして祈る…。
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井川投手が日本でプレーした頃の記録をボクは全く知らなかった。
友だちに聞くところによると、彼はオープン戦での成績は毎年芳しくない、と言う。本人も「オープン戦は調整。打たれていい」との考え方だったようです。しかし、ここは大リーグ。オープン戦での成績がそのまま先発か否か、結果で振り分けられてしまう。その点が気になっていましたが、
「実績がないので、オープン戦からアピールしないといけない。結果にこだわります。スタイルを変えていきます」
と、井川投手は答えていた。すっかり、大リーグのルールをわかっているようなので、ボクはホッとしました。あとは、その結果を出さないと…。

井川投手のヤンキース入団が発表されてから、ボクは彼のニュースが気になった。
メディアはなかなか彼のことを報じようとはしなかった。もうひとりのルーキー、松坂投手の話題は連日報じていたが…。で、その数少ない井川投手の記事を見ていて感じたことがあります。
それは、「ずいぶん、練習する選手だなぁ」ということです。
入団契約でNYに行ったときも、自分の荷物の中に自転車で使用している「タイヤのチューブ」を持って行っている。なんでも、それを使って腕の筋肉を鍛えているのだそうです。それも、毎日欠かさず、といいます。
プロの選手が練習を怠らないのは当たり前、と言ってしまえばそれまでですが、昨今、日本の選手でも、その「お遊びぶり」は紹介されても、練習する姿は紹介されません。
井川投手は帰国して大騒ぎしているのかと思えば、故郷の海辺で黙々とランニングを続けていました。芸能イベントにもあまりお呼びがかかっていなっかたようです。
挙げ句の果て、趣味はなにかと思ったら、「ダーツ」というから、ボクは大笑いしちゃったものです。井川投手には失礼を承知ですが、それを知って…
「ダーツ? 投手でしょ! 球が矢になっただけジャン。おんなじだねぇ、それじゃあ。他にないのぉ、彼の趣味?」
かなり上手だそうですよって、友だちは教えてくれる。
「上手に決まってる。井川投手はコントロールがもの凄いんだぞ…」
と、人から聞き入れたばかりの新情報で言い返す自分が…また、可笑しい。

ボクは、井川投手のことをいままでよく知らなかった…。
地味な感じの投手だなぁ、程度の印象でした。
でも、ボクはかえってその方が楽しいのですよ。そうです、その方がボクには「夢」がふくらむ、からなのです。

王建民投手がルーキー時代、まさかあれほどの大投手になると、誰が予想していたでしょうか?
井川投手との出逢いは、NYッ子たちには、まだまだボク以上の「未知との遭遇」に違いありません。未知の選手がヤンキースに入団したのです。
高校時代。青春時代から甲子園を沸かせたスター選手の松坂投手は、日本ではいつもメディアの光の中心にいました。でも、井川投手は甲子園なんて出たこともない。記者からの質問は「キミは水戸出身? じゃあ納豆、好きなの?」と、どうでもいいようなことしか聞いてもらえなかった選手です。

その地味キァラ、井川慶投手が今季から、この大宇宙空間の中で最も超派手な「光」を放つ「熱い球団 New York Yankees」でプレーしちゃうのです。この世に生きるすべての人たちに、ベースボールの美しさと素晴らしさを伝え続けて100年の球団ヤンキース、です。その歴史自体が「光」であり、ここでプレーする選手は超一級品のプレーヤーがズラリと顔を揃えています。
バーニー選手を筆頭に、ジータ選手にジョンビ選手、デーモン選手に…そしてそして、超スターのA・ロッド選手と…そうですそうです、我らが松井秀喜選手! こんな輝く選手たちの中で井川投手はチームメイトになりました。

派手なアピールをする大リーグにあって、王建民投手も同様ですが、井川投手もまたなんとまあ「地味選手」でしょうか。

で、ボクは思います…。それでいい、って。

ヤンキースで生まれようとしている「オリエントコンビ」は「地味」が「売り物」なのですから。
ヤンキースで「地味選手」って、かなり「派手」に目立ちますぞ、これは。
先輩になるカノー君がそうなように。カノー君は、いつしかみんなに愛される選手に育ちました。

ボクはなんだか、今までとは全く味わったことのない、違った熱情を自分の中に感じます。
王建民投手と井川慶投手に…。

ルーキー井川投手にボクは力いっぱいの拍手を送ります。
井川投手をよろしく!

<井川慶 Kei Igawa>
( いがわ・けい )
所属: ニューヨーク・ヤンキース
出身地: 茨城県
生年月日: 1979年7月13日生
身長: 186cm
体重: 91kg
血液型: O型
投打: 左投左打
ドラフト: 97年2位
甲子園: なし
出身校: 水戸商

<主な成績・タイトル>
▽日本プロ野球
1998-2006:  阪神タイガース
MVP: 2003
沢村賞: 2003
最多勝: 2003
最優秀防御率: 2003
最多奪三振: 2002、2004、2006
ベストナイン: 2003

<井川慶投手の軌跡>

1979.07.13 茨城県東茨城郡大洗町生まれ。
1995.04.15 水戸商に入学
1997 高校3年春の県大会、竜ケ崎一戦で7回参考記録ながら18奪三振で完全試合を達成。夏は腰痛のためほとんど登板機会がなかった。夏は決勝で敗退し甲子園出場ならず。
1997 阪神タイガースにドラフト2位で入団。
1999.05.02 広島戦でプロ初登板、1安打3四死球で1死も取れず降板。
1999.05.19 広島戦でプロ初先発。6回4安打5四球も2失点に抑え、プロ初勝利。
2000.09.03 横浜戦で先発し、8回2失点でプロ2勝目。
2001.04.24 巨人戦で9回5安打1失点、11三振を奪いプロ初完投勝利。
2001.08.17 横浜戦でプロ初完封勝利。
2002.04 22 入団5年目で初の開幕投手。巨人戦で1失点の完投勝利、阪神にとって12年ぶりの開幕戦勝利となった。
2002 プロ入り初の2ケタ勝利を達成し、最多奪三振のタイトルを獲得。
2003.07.21 ヤクルト戦で4戦連続完投勝利。
2003.08.02 中日戦で2安打完封、12連勝(うち中日に6勝)をマーク。
2003 初の20勝をマークし最多勝、チーム18年ぶりのセ・リーグ制覇に貢献し、MVP・沢村賞も獲得。 2004.10.04 広島戦で史上71人目のノーヒットノーランを達成。
2004 最多奪三振のタイトルを獲得、オフにメジャー挑戦を直訴するが、球団の反対で断念。
2006.04.14 広島戦で史上119人目の通算1000奪三振を達成。1058投球回での到達は歴代5位の記録。
2006.08.15 横浜戦で9回5安打1失点、11奪三振の完投勝利で10勝目を挙げ、1983年小林繁以来の5年連続2ケタ桁勝利をあげる。
2006.10.16 ヤクルトとの最終戦で10三振を奪い完封勝利、川上(中日)と並び3度目の最多奪三振を獲得。
2006.11.10 ポスティングシステムでのメジャー移籍を表明。
2006.11.29 ヤンキースが2600万194ドル(約31億2000万円)の落札額で独占交渉権を獲得。
2006.12.27 ヤンキースと5年総額2000万ドル(約23億6000万円)で契約。
(サンスポサイト参考)

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by mlb5533 | 2007-01-09 14:13 | 第三章