楽しさ

11日、釜山は朝から雨模様だった。
でも10時過ぎから広安里は晴れきたから、社稷運動場に行ってみる。
アジアシリーズの決勝戦を見られるなんて、実に幸運だ。
A組1位のラミゴ(台湾)とB組1位の巨人の戦いだ。巨人はラミゴを6-3で下し、大会初制覇した。

ところで、これだけの試合をしていたにもかかわらず観客席はガラガラ状態。隣にいた日本人が「まるで高校野球の予選みたいですね」と寂しそうだった…。アジアシリーズはまだまだ未完成。いくら地元韓国の2チームが消えたとはいえ、この状態ではあまりにも寂しかった…。
日本でもそうだろうがアジアシリーズの位置づけが不明確なのだろう。大リーグのオーナーたちの主導によるWBCとなると、あれだけ大騒ぎをするのに…。今度のWBCでは大リーグに属する日本人選手たちの相次ぐキャンセルが報じられている。しかし、第1回、2回の時ほどメディアは否定的論評を加えない。かつて、様々な事情から辞退した選手がいたが、その選手に対してかなり否定的報道をしたことはすっかり忘れているのだろう。

世界大会とはなんだろう…と、考えざるを得ない。
日本のスポーツメディアは「勝つ」を前面に押し出す。しかし、世界各国の野球選手は個人的にもまた全体的にもWBCのとらえ方がずいぶんと違っている。たとえば今季ワールドシリーズを制覇したサンフランシスコジャイアンツのティム投手などは、アメリカ代表で出場しないかもしれない。母親の祖国であるフィリピン選手として参加しようと考えている。
もし、「勝つ」ことだけに価値を置くとしたらUSA代表で出場すべきだろう。しかし、ティムはそうしないかもしれない…。

ベースボールとは「勝つ」しか術のないものか…。もしそうだったとしたらボクはとっくに野球観戦から逃げ出していたろう。
「プレーボール!」
と、宣言しているからボクはベースボールに興味がわく。

韓国もなんとなくだが、日本人のこの「勝つ意識」と似ている気がする。ベースボールの楽しさを伝えるメディアが「楽しさ」そのものを伝えきっていないような、そんな気がする。これでは韓国の観客はスタジアムには来ないだろう。地元なのに…。

野茂投手がドジャースに渡ってから、日本メディアもこぞってMLBを学習している。その歴史、このチームのドラマ性、各選手の紹介など…。日本の野球解説者もまた、勉強せざるを得なかったろう。野茂投手以前、日本のプロ野球界はMLBを神格化しすぎていたようにも思う。大リーグ入りした当時の野茂投手に対して元プロ野球投手でベテラン解説者が、「5勝したらオンの字ですよ!」と、高をくくっていたではないか。野茂投手がMLBと日本野球界の架け橋になったことは事実だろう。これは、野茂投手の隠れた功績だとボクは思っている。
その甲斐あってか、以後、日本人の多くがMLBに振り向いた。その仕上げは、イチロー選手と松井選手の大リーグ移籍だろう。この選手の活躍ぶりがベースボールの「楽しさ」の面積をますます拡大してくれた。

ところで、松井選手がアストロズのDHとして検討されているという。ホントかな? とは思う。単なる関係筋のリップサービスなのだろうが、それでも松井選手の存在はMLBでも一目置かれているということだ。もちろん、この業績は松井選手本人の努力の賜。

来期からAL西地区に移動するアストロズ。このチームがすぐに「優勝」を狙っているチームとは誰も思っていない。これからのチームだ。そのチームにもし松井選手が入団したとしたら…。おもしろくなる。
さてさて、まだまだ松井選手の来期は不明だが、大リーグに残るだろうことは予想がつく。どんな残り方になるのか、じっくりと待つことにします。


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by mlb5533 | 2012-11-13 01:01 | 第十章

3つの「ジャイアンツ」

日本シリーズで東京読売ジャイアンツが日本ハムファイターズを4勝2敗で下して、3年ぶり22度目のシリーズ制覇を達成した。11月3日のことだった。
太平洋を越えた米国でも5日前(米国時間28日)にサンフランシスコ・ジャイアンツが2年ぶり7度目の世界一の輝いている。

米国のジャイアンツと日本のジャイアンツが今年、ともに栄冠を獲得した。
だからなんだ、と言うわけではないが「優勝」「制覇」「栄冠」の二文字からふと気になった。日本のジャイアンツは22度目、米国のジャイアンツは7度目…。なんだろう、この数字の違いは?

米国のジャイアンツは「サンフランシスコジャイアンツ」が正式チーム名で、1883年(明治16年)に創設した。130年目を迎えた伝統ある大リーグチームである。
1871年に米国では最初のプロ野球リーグ、「ナショナル・アソシエーション」が創設され、1882年(明治16年)、「アメリカン・アソシエーション」が創設し、翌年からリーグ優勝チーム同士の対戦が組まれている。

アメリカで誕生したプロ野球が太平洋を越えて「プレーボール!」したのは、実に古い。
1894年(明治27年)には当時の旧制高校の間ですでに試合をしていた記録がある。「米国ジャイアンツ」の誕生からわずか10年程度で日本に伝わってきたのだ。その頃、キャッチャーだったのが、正岡子規である。規模こそ比較にならないが、とにもかくにも日本の野球史は米国大リーグとほぼ歩調を合わせるかのように今日まで歩み続けている。日本での「野球」は120年の伝統あるスポーツと言っても、けっして過言ではあるまい。両国ともに、特徴として挙げられるのは選手たちが優等生だったことか…。

アメリカでは、ハーバード大、イェール大などの有名大学生が主な選手たちだったし、日本でも明治の頃は東京大学を初めとした早稲田大学などの大学生の楽しみだったため、今日ほどの大衆スポーツになるには時間が必要だったのではないかとボクは勝手に想像している…。

いずれにしても、MLBでジャイアンツ(当時ニューヨーク/現サンフランシスコ・ジャイアンツ)が誕生して、50年後に東京ジャイアンツが誕生している。
1934年(昭和9年)、読売新聞社の正力松太郎さんによって「大日本東京野球倶楽部」が創設され、「大日本東京野球倶楽部」が誕生した。実に仰々しく、長ったらしい名称ではないか。このチームが後の「巨人」である。米国のジャイアンツが設立して、およそ50年後に日本で「ジャイアンツ」が生まれた。

1936年には日本初のプロ野球リーグ日本職業野球連盟が設立された。

読売ジャイアンツは今日でもサンフランシスコジャイアンツと共通したデザインのユニフォームを採用している。
1935年に「大日本東京野球倶楽部」がアメリカに遠征した際、対戦チームのニューヨークジャイアンツ監督のフランク・オドールさんから、「ニックネームがあったほうが良い」と提案され、強豪チームだった「ジャイアンツ」の愛称を取り、「東京ジャイアンツ」と名乗った。そして帰国後、1936年に「東京巨人軍(とうきょうきょじんぐん)」と正式改称する。これが現在の「巨人」の始まりだ。現在、米国メディアの間では、「巨人」のことを、「Tokyo Giants」と記す記者たちが多いのは、この事実が由来している。

この「東京ジャイアンツ」だが、第1回米国遠征でのこと。1935年(昭和10年)1月14日から2月3日まで草薙球場で猛練習を重ね、肌寒い2月14日、横浜港から太平洋を渡って、第1次アメリカ遠征に出発する。
信じられないが、実際、大変に強かった。マイナーリーグクラスのチームを相手にしたとはいえ、128日間で109試合も強行して、対戦成績はなんと75勝33敗1分だった。勝率.694! 今季巨人軍はリーグ優勝したがその勝率.667おも上回っている。どんな試合ぶりだったのかは今となっては取材できないが、これは日米ベースボール史上、特筆ものだろう。どんな物語があったのだろう…と、想像するだけでもボクはワクワクしてくる。彼らは今で言う「民間外交官」としても価値ある仕事を成し遂げた人たちだろう、とも思う…。
スポーツを共有。しかも、米国の国技である「ベースボール」をここまで習得している国があることを彼らに伝えた実績は、政治外交でも、経済活動でもなし得ない民間同士の大きなつながりをつくったことだろうと思う。
…78年も昔のことだ。
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        〈 巨人軍・与那嶺要選手。1994年に野球殿堂入り 〉
アメリカ仕込みのスライディング、タックルなどの激しいプレースタイルは、日本プロ野球に新風を吹き込んだ。ドラッグバントなどの「新技術」は、与那嶺選手によってもたらされた。出身地であるハワイ州のホノルル国際空港内には、功績を称え、「巨人の選手時代」、「中日監督時代」のユニフォームなどが展示されている。

1982年(昭和57年)のこと。韓国で「ジャイアンツ」が誕生した。日本のジャイアンツの誕生からおよそ50年後、元祖ジャイアンツから100年後のことだった。
いまでは、米日韓、そして中国、台湾に、豪州でも「プレーボール!」の声が聞こえてくる。観客は彼らが創り出す「即興舞台」に一喜一憂しながら声援を送る。

まもなく、韓国釜山で「アジアシリーズ」が開幕だ。いつの日か、文字通りの「ワールドシリーズ」開催をボクは「夢」見てしまう。

いま、世界の各地で白球が大空高く舞い上がる…。
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「61本塁打」を記録したばかりのロジャー マリス選手と対面する巨人軍・長嶋選手。
1962年(昭和37年)1月、ニューヨークで。

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by mlb5533 | 2012-11-06 11:27 | 第十章

a0094890_18545113.jpgSWEEP!

今季、MLBワールドシリーズで、サンフランシスコジャイアンツがデトロイトタイガースを相手に4連勝して30球団の頂点に輝いた。
しかも、わずか2年前にワールドシリーズ制覇を果たしたばかり。
この強さはもはや、誰ひとり疑う余地のない「本物」になった。


2010年のこと。
開幕当時、誰がジャイアンツの優勝を予想しただろうか。ポージー選手の存在すら気にとめる記者はいなかったはず。それまで正捕手だったベンジー・モリーナ捕手は7月にテキサスに移籍、その後をポージーが受け継いだ。
ポージーはこの年、マイナーで開幕を迎えた。5月29日、一塁手としてメジャーに上がって、シーズン後半は4番で正捕手の座になって活躍。そして、56年ぶりのワールドシリーズ優勝の立役者になった。当時、23歳でしかなっかった。

ところが翌2011年、プレー中に大怪我をしてしまう。
5月26日のフロリダ戦だった。本塁クロスプレーの際に、左下腿の腓骨骨折と左足首靱帯断裂の大変な事態に見舞われた。一時は選手生命を危ぶまれるほどの大怪我だった。実は、このニュースをMLBサイトで知ったが、ボクは無性に腹が立ったことを覚えている。ビデオで事故の様子を見たが、「あのプレーはベースボールではない、アメフトではないか!」と。

このブログに書くことではなかったが、とにかくMLBらしくない忌まわしい危険プレー。小柄なポージー選手にあれだけの体当たりをするとは…。
ポージー選手は残りのシーズンを全休した。
ボクは「来季、出てこられるのか」と、気になって仕方がなかった…。

そして、今季が開幕。
ポージー選手は復活していた。あれだけの大怪我をしていたのに。なんと、オープン戦から出場しているではないか。
このニュースはボクにはありがたかった。
松井選手のレイズの他にも、気になるチームがあるのがおもしろい。
ただし、だ。開幕戦のジャイアンツはひどすぎた。アリゾナを相手に3連敗、しかもヒットは出ているのだが決め手がない。6点も先制したのに、あっさり逆転負けと、不安だらけのスタート。でも、NLの西地区はボクにとってはドジャースが大いに気がかりだった。むしろ、今季はドジャースがいただきだろうとさえ思っていた。いや、おそらく7月までは誰が見てもドジャースだったろう…。

10ゲームは開いていたと記憶しているがその上、8月のこと、不祥事が起きた。
ジャイアンツの主軸、ミルキー・カブレラ選手がドーピング検査で陽性反応。50試合の出場停止処分が下った。打率.350の首位打者がいなくなる。このニュースには唖然とした。ヤンキースでは松井選手の同僚。ボクには、彼が?と、まさか、のニュースだった。ジャイアンツ内部でも頭を抱えたに違いない。カブレラ選手は自分の首位打者である記録を辞退した。このことで、ポージー選手の首位打者が繰り上がった。

ポージー選手は25歳。MLB4年目の若い選手だが、おそらくジャイアンツのなかで、ヤンキースのジーター選手のような存在になるだろう。今年のオールスターでは、ファン投票でナ・リーグ最多となる762万票以上を集め、カムバック賞も受賞した。高校時代から交際を続けた女性と結婚、昨年双子が誕生しているが、その奥様を同乗しての凱旋パレードはまるでハリウッドカップルのように華やいで、微笑ましい。
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昨年の大怪我から彼のプレーに変化が出ている。
ワールドシリーズでも見せたが、ホームでのクロスプレーになるとき、ポージーはホームベースの前、ピッチャー側に飛び出して、内外野からの返球をキャッチする。三塁から走塁してくる選手は、ホージーのいるフェアゾーンを使えなくなるのでファールゾーンを走らざるを得ない。走者がホームに滑り込むとポージーはまるで柔道の受身のような格好になり、ボールを握っている左手をそのまま走者にタッチする。ホームを両脚で跨いで隠すのではなく、逆にホームベースをガラ空き状態に見せているが、ポージーがピッチャー側にいるため、走者は遠回りしてホームに滑り込む。このプレーなら、無意味なラフプレーを回避出来そうだ。
このプレーを「ポージーポジション」と名付けて、ひとり楽しんでいる。

ジャイアンツの若い選手はポージーだけではない。
マット・ケイン投手28歳がいる。今季6月13日、ヒューストンを相手に14奪三振の完全試合を達成した。捕手はもちろん、ポージーだった。サンフランシスコジャイアンツの生え抜き投手だ。
投手陣では、ケイン投手の優等生組のほかに、忘れてはいけないのがあの人気者、ティムがいる。とくに、現地の若い女性にはジーター並みの人気だ。
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ティム・リンスカム投手は28歳。米国人の父とフィリピン人の母を持つ。けっして大柄ではない。ロックスター並の風貌が特徴だ。全身を使って投げ込むフォームは、野茂投手のトルネード投法に匹敵するほど、独特だ。とにかく身体が柔らかいのだろう。変化球がものすごい。曲がる、落ちるの球道は高速すぎて打者はタイミングがとれない。今季は10勝して5シーズン連続して、ふた桁勝利。まだまだ先が楽しみ。

a0094890_199858.jpg若い女性のあこがれ役はティムに任せて、子どもたちの超人気者は「カンフーパンダ」こと、サンドバル選手、26歳だ。
とにかく「プレー」する選手。
そもそも、デビューは08年8月で「5番・捕手」だった。まあ、体格からして捕手だが、自分ではそう思っていないようだ。

2010年のことだ。
ワールドシリーズを56年ぶりにチームは制覇したが、サンドバル選手はこの大事なシーズン中、ひとり、蚊帳の外といった感じだった。実にふがいない成績で、本来の打撃はどこに行ってしまったのか…と。

ポストシーズンは6試合だけ出場した程度。打率は.176…。打撃力がどん底にまで落ちた。原因は誰の目から見てもわかっていた。わかっていないのは、当の本人だけ。
太りすぎ、だ。

そこで首脳陣はサンドバル選手を呼んで言い聞かせた。
「オフの間に減量ができなければマイナー落ち」と厳しく通告したという。デブのままでマイナー行きか、それともメジャーに生き残るか、の選択だ。そこで彼が真っ先に努力したのは、大好物のポテトチップスとコカコーラを我慢したことだった。その結果、17キロ以上の減量に成功する。その甲斐あって、11年シーズンはレギュラーで残り、打率.300、20本塁打を記録できた。ただ、お調子者で陽気な性格は相変わらずなので、チームが好調だとうれしくなってベンチでお菓子類を人一倍頬張ってしまう。コーチから「マイナーに行きたいのか?」と注意されていると聞く。そんな人気者が、大事なワールドシリーズで3打席連続ホームランの離れ業をやってのけ、MVPに輝いた。なんだか、こっちまで楽しくなってくる。とてもじゃないがヤンキースベンチではこんな話は転がっていない。
彼の体格から想像し難いが、実はとても器用な選手であることは間違いない。三塁手ではあるが、一塁手も捕手もする。ブルース・ボウチー監督もそんな器用さを買っている。

ブルース・ボウチー監督さん(57歳)だが、実父はアメリカ陸軍の下士官である。07年からジャイアンツの監督さんだ。6シーズンで2度ワールドシリーズ制覇を果たした。就任のシーズンはとにかく弱ッちく、最下位。翌年から、4位、3位、1位(10年ワールドシリーズ制覇の年)…とチーム力を向上。各コーチ陣と連帯して指揮する監督さんと聞く。あまりドタバタしない監督さんだ。

来季がおもしろい。
ドタバタしていたドジャースがチームの再建を目指して今季以上の巻き返しをしてくるに違いない。だが、この若きチーム・ジャイアンツはまだまだ成長するだろう。おそらく、もっともっと強いチームになるだろう。
日本からもジャイアンツ戦を観戦したがるファンも多くなるだろうと想像する。それほどこのチームは注目に値する選手が増えてきた。スター選手が増えれば、観客動員数も上がり、選手たちはその環境の中で試合を展開するからますます熱が上がって、すばらしいパフォーマンスを見せつけてくれるに違いない。

a0094890_19193973.jpgいつの日か、東京ジャイアンツとサンフランシスコジャイアンツの決戦カードを組んでもらえないかな、と夢見る。なにせ、両チームとも共通して「若い」。

そういえば10年前の本日11月1日のことだった。東京ジャイアンツの4番打者・松井秀喜選手(当時28歳)がFA宣言した。
「向こうでプレーしたいという気持ちが最後まで消えなかった」と、あのときコメントしている。

ボクに「夢」を持たせてくれる選手たち…。
それは、輝いて眩しいほどだ。

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by mlb5533 | 2012-11-01 19:33 | 第十章