55番の「国民栄誉賞」

書こう書こうと思っていたのに…。
ずいぶん時間が経って「国民栄誉賞」の話題はもう古く感じますね。

とにかく、長嶋さんとふたり揃っての受賞、という事実がボクにはとっても嬉しく感じたものでした。
「師弟関係」の受賞です。

このブログを立ち上げるきっかけは、松井選手がニューヨークヤンキースにいくという記者会見を見たときでした。FA宣言をしたときに、「裏切り者と言われるかも知れませんが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい…」とコメントしていました。
巨人軍時代の松井選手にはさほどの関心はありませんでしたが、このコメントに松井秀喜選手をひとりの人間として親近感を覚えました。
その年の暮れ。松井選手の「ヤンキース入団」が発表になった。
「ヤンキースだって?!」
これがボクの反応でした。

野茂投手のあと、イチロー選手が渡米してよい成績を上げていましたが、まだまだ日本人選手が大リーガーで活躍出来るとは思っていなかった頃でした。野茂投手は望んでMLBに移籍したのではありませんでしたね。でも、ノーヒットノーランを2回も達成しましたし、奪三振でも記録を残してました。こんないい選手を放出する日本球界ってなにを考えているのか…と思ったものでした。その後、日本球界最高の「安打製造機」イチロー選手が、日本球界最高の4番打者・松井選手がMLBに移籍です。

イチロー選手がMLBに移籍してもボクは「あッ、そうなの」程度でした。
しかし、松井選手の移籍には驚きました。ヤンキースに移籍、とは。たまたまボクは仕事の関係で単身ニニューヨークにいたことがある。あの頃のヤンキースは優勝から離れた「冬の時代」でした。マッティングリー選手がいのまジーター選手のようにオナゴたちから騒がれていた頃です。ひとりで芝居やミュージカルを見てましたが、友だちが出来、その友だちがビレッジでヤンキースを熱く語ってくれました。スタジアムにも行きました…。

そんな想い出が松井選手の「ヤンキース移籍宣言」で蘇ってきました。「そうだ、ブログでも書くか…」って、そんな気持ちにさせてくれたのも、松井選手のおかげです。
ブログを書いていくと松井選手のことをボクはちっとも知らなかったことに気づかされました。なかでも、長嶋監督さんとの「師弟関係」です。長嶋監督は当時の巨人軍でなんとしても、ホームラン打者の育成が必要だ、と考えておられたようです。それに応える選手は「55番」しんいない、と。なので、監督さんは必死になって松井選手を育て上げた。将に手塩にかけて…。
a0094890_16115100.jpg

それに応えた松井選手もエライです。試合前後に移動先ホテルで、自宅で1000本素振りを毎日実行していたと聞きました。
…やがて02年、巨人在籍最後のシーズンでホームラン「50本」を記録するまでの最高の4番打者に育っていたのです。
a0094890_1615325.jpg


おそらく、ですが…。ボクはふたりの時間は「素振り」だけやっていた訳ではないと思います。
長嶋監督さんは「プロ意識」「巨人軍の4番とは」「記者さんとの対応」そして、巨人軍の伝統である「紳士でアレ」をいろいろと自分の体験も交えて、若き4番打者候補に伝えていたのではないでしょうか。
a0094890_1620447.jpg
そんなふたりは01年、長嶋さんは監督を勇退し、翌02年、松井選手もFA件を行使して太平洋を渡ってアメリカ・ニューヨークに移籍した…。

そんな時間を過ごした松井選手は長嶋イズムを聞き入れて、ますます「チームの勝利」を土台にする4番打者に成長していったと思うのです。そうでなければ、ヤンキースに移籍したとき、あれほど進塁打、犠牲フライ、犠打など日本の4番打者なのに「何でもやるプレーヤー」になっているわけがありません。ホームラン打者としてのみ価値がある選手だったら、バットをブンブン振り回していたはずです。個人技の魅力もさることながら、「チームの勝利」を最優先する考え方で彼はプレーし続けたとおうのです。この考え方は「恩師・長嶋茂雄」さんからの直伝だったとボクは思っています。プロ生活とは…、ファンあってのプロ…、そんな教えを松井選手は日本でも、MLBでも揺るがずにプレーしていたのでしょう。それが、アメリカでの私生活をも充実させたのでしょう。
松井選手はずいぶんアメリカで友だちをたくさん作ったようですね。いいことです。

あのデビュー。
a0094890_1619399.jpg

スゴかったですね、そう、ヤンキースタジアムでいきなり「満塁ホームラン」でしたから。
長嶋監督さんも大喜びでしたね。愛弟子がこれほどの快挙をやってのけたのですから…。

先日のインタビュー番組は見られませんでした。TBSさん、今までのインタビューをDVDにして販売しませんか? 「国民栄誉賞」という話題性もあるのでいいと思うけどなぁ。

まだ書きたいことはたくさんありますが、今日はここまで。



…NY152…
by mlb5533 | 2013-04-11 16:21 | 第二部

素晴らしい! の、ことば以外見つかりません。
ダルビッシュ投手が26アウトまで「完全試合」でした。
あと一死で完全試合達成という場面で、9番ゴンザレス選手に、自分の足下を抜かれたセンター返しをされて…。
パーフェクト試合は達成出来ませんでしたが、今季の活躍を暗示していた試合でした。

ダルビッシュ投手はテレビインタビューで、
「あそこまでいったらアウトを取りたかった。自分はまだ完全試合を達成しているピッチャーに比べて、もう一歩足りないということ。いい思い出になった」
笑顔でこえていた姿にボクは好感が持てました。

今日の試合で、マリナーズの岩隈投手も勝ち星をあげました。今季のMLBは日本人投手の活躍が話題に上がりそうですぞ…。

…NY152…
by mlb5533 | 2013-04-03 15:19 | 第二部

4月1日、長島茂雄巨人軍名誉監督さんと松井秀喜さんのふたり揃って、「国民栄誉賞」同時受賞の方針を決定しました。政府もずいぶん粋な計らいをしてくれました。
「ふたり揃って」というところが「日本人らしさ」を感じます。ズバリ、「師弟関係」の受賞ですからこれは日本人の心を掴んでしまったことでしょう。まだ桜が残る板橋駅前商店街にも、このニュースは春の街を一層明るくさせてくれました…。

このニュースは日本国内だけに留まらず、全米にも、中南米諸国、そしてベースボールの楽しさを覚えた欧州諸国に、さらには豪州にも「ナガシマ&マツイ」の名前が報じられたはずです。日本にいる外国記者たちは一斉に祖国にこの話題を原稿にして送信したはずです。
ところで、「国民栄誉賞」を英語ではなんと表現するのかと素朴な疑問。直訳すれば「People honor prize」かなあ…こんな言い方?かぁ…。
気になりますよねぇ。そこでボクは早速NHKの広報担当さんに電話取材してみました。海外向けのニュースでは、「People's Honor Award」という言語表現で統一されていました。政府も今後のこともあるので、英語での表記も示していただきたいなッ。一国の総理が国民に表彰を贈る…、こんなに素敵な行事は他の国にも誇れると思いますから、ねッ。

a0094890_15432320.gifさあ、皆さん。
このうれしさを、どのように書けばいいんでしょうか…。
松井選手のコメントはまだ日本には届いていないようですが、
長嶋さんはいち早く、

「国民栄誉賞のお話には驚いておりますが、受賞が決まれば、本当に光栄です」

とコメントした後、まな弟子の松井氏との同時受賞には、

「監督と選手として苦楽を共にしてきた松井君と一緒に頂けるということであれば、これ以上の喜びはありません」

と、ご自分の感動までコメントしてくれました。

長嶋さんと松井選手の「書きたい放題」のチャンスじゃないですか!
うれしいやら…緊張するやら…データの取材もしなくちゃなんないし…。まあまあ、興奮してますから、なにを書いても自己満足100%の原稿です。すみません…。

a0094890_15534842.gifWindows3.1時代からPCをいじくっていましたから、大量のソフトが部屋で放置されたまま。その中には、文春がかつてCD発売した「長嶋さんのCD」があったはずと、懸命に探しまくって、見つけましたよ。
その写真を使ってこんなコラージュを創ってみました…。まずは、長嶋さんの現役時代。ボクたちが初めて野球に熱狂した頃の長嶋選手が、これでした。









長嶋さんと松井選手。このふたりの物語って、実によく似ていますね。それぞれが「師弟関係」のみならず、「宿敵」もあり、「運命的出逢い」あり、「伝説」ありとずいふん共通したドラマを持ち合わせています。これをいちいち丹念に書いたら、それだけでも一本のブログが出来上がるほどの分量でしょう…。それほどこのおふたりの生き様は「球界」という限定した地域にとどまらず、「一般社会」に大きく影響を与えた人物であることに違いありません…。

長嶋茂雄…。
「我が巨人軍は永遠に不滅です」
ボクが野球を大好きになった理由は、巨人軍に長嶋選手がいたからです。
音楽と絵画とお芝居だけしか出来なかったボクが、小学校の夏休みにお父さんに連れられて「後楽園球場」で巨人と中日戦を見ました。お芝居や演劇、寄席など「ナマの声」でずいぶん沢山見ていましたが、スポーツはボクにとって未知との遭遇でした。
a0094890_15562132.gif

球場に響き渡る打球の衝撃音、観客の歓声、星空に飛んでいく白球の美しさ、躍動する選手の動きなどなど。しかも、芝居小屋で食べるお弁当とは全然違ったパンの味(と、いうのか…今想えばホットドッグ的なサンドみたいな…)を初めて知って、驚いたことまで覚えています。
なんとまあ、おもしろいんだろう、映画よりおもしろい…と、そう感じたものでした。
実はあの頃のボクは「プロ野球」って、「商業的見世物」だと勘違いしてましたからお父さんに、「これにも台本があるんでしょ」って、聞きました。そしたら、「よく見ろ! 台本どおり選手が動けるか! そんなのないんだよ、台本なんてないだスポーツの世界には」って、笑って教えてくれました…。ボクには衝撃的な真実でした。
だって、台本がないと言うことは「ずいぶん危険なことをしている人たち」と想ったからです。
a0094890_15592612.gif

ボールに当たったら大怪我するよ、アブナイよ、って想ったんです。
…とにかく初めての後楽園はボクにとって衝撃の、未知なる夢の世界との出逢いであったことには違いありません。小学生時代、日舞に通っていましたが、その夏はおさらいどころか、すっかり野球のトリコになって、日舞の舞台どころか、夏休みの宿題さえ後回しにしたほどでしたから。
ルールを知れば知るほど野球って「うまく出来てる」って感激したことも覚えています。真っ先に覚えたルールが、「ホームラン」でした。分かり易かった。クラスの仲間とさんざん「長嶋談義」をしたことも、ボクの子供時代の想い出です…。

「4番サード・ナガシマ」のアナウンスが球場に響き渡ると、ボクは「よし!」って気合いが入ります。「さあ、今日はどんなドラマをみせてくれるのかなあ…」って、まさしく緞帳が上がる舞台見物と全く同等の興奮が起きました。ボクの長嶋選手へのイメージカラーは「ホワイト」なんです。9回になる頃には泥だらけになってしまう長嶋選手のユニフォームなのですが、その汚れがかっこいいって想いました。
打つ姿…走る姿…一塁に投げる独特の姿…バットを振る姿…、当時のボクにはあれ以上の「役者」は、球界では見当たりませんでした。
東映だったら中村錦之助、大映だったら市川雷蔵と勝新太郎、東宝だったら三船敏郎と加山雄三ってボクには決まりがあったのですが、スポーツは「長嶋茂雄選手」でした。野球を知ったあの頃、巨人軍の勝敗より長嶋選手の試合での活躍に関心が向いていたのです。長嶋さんの活躍だけを追いかけているうちに野球ゲームとは「チームプレー」であることを知りました。やがて、勝負にこだわる観戦も出来るようになりました。野球の醍醐味とは、「団体戦であり、個人技の総合力」であること。舞台や合奏とまったく同じだ、という楽しみもわかるようになりました。
長嶋さんのおかげです。

ボクだけではないと思います。お父さんでさえ、あの引退ゲームの時、テレビの前で涙を拭いていましたから…。

まだまだ書きたいネタがあります。今日は、まずは舞台のかけ声よろしく「ご両人!」と、お祝いをだけを書いておくことにします。
松井選手は直ぐに書きますが、いろいろと写真など集めたり、データを取材したりしてみますね。
がんばります!



長嶋 茂雄(ながしま・しげお)

1936(昭和11)年2月20日、千葉県生まれ、77歳。佐倉一(現佐倉)高から立大を経て、58年に巨人入団。1年目からレギュラーの三塁手として活躍し、新人王。勝負強い打撃と華麗な守備で、王貞治らとともに巨人のV9(65-73年)を支えた。74年に現役引退。75-80年、93-2001年に巨人の監督を務め、日本一2度、リーグ優勝に5度導いた。02年12月、日本代表監督に就任したが04年3月に脳梗塞で倒れ、アテネ五輪での指揮を断念した。1988年野球殿堂入り。現巨人軍終身名誉監督。右投げ右打ち。


松井 秀喜(まつい・ひでき)

1974(昭和49)年6月12日、石川県生まれ、38歳。星稜高で甲子園に春1度、夏3度出場。3年夏の明徳義塾高戦(2回戦)では5打席連続で敬遠された。93年ドラフト1位で巨人入団。主砲として4度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。2002年オフにFAでヤンキース移籍。07年5月に日米通算2000安打達成。09年ワールドシリーズでは日本選手初のMVPに輝く活躍で世界一。10年エンゼルス、11年はアスレチックスに所属。12年はレイズでプレーし、12月に現役引退を表明した。右投げ左打ち。

a0094890_1540613.gif



…NY152…
by mlb5533 | 2013-04-02 15:41 | 第二部