今年のMLBはおもしろそうって予感がします。
マー君がMLBに移籍するからではないのです。彼がどの球団に行ってもその活躍ぶりは気になるでしょうが、日本人プレーヤーではなくて今季のFA組メンバーたちの動向です。

a0094890_433326.jpgボストンはいいチームであることは皆様同様認めていますが、ボクはやっぱりヤンキースファンだと自覚しています。で、2014年シーズン、つまり今年、ヤンキースは昨年のようなことにはならないと思えるからです。その理由はボストンの1番打者・エルズベリー選手がヤンキースに移籍したことです。7年間の大型契約です。誰の目にもわかるとおり、ジーター選手の後任のなる選手であるということです。
ボクは個人的には、エルズベリー選手を以前このブログで記事にしたように、ひそかに応援していました。ただし、ヤンキース戦だけは別。でも、彼はなぜか、ヤンキース戦になると張り切っちゃうので困りましたが…。かつてボストンからヤンキースに移籍したのがベーブルースでした。MLBってところは、ベーブルースでさえトレードに出すところ。選手の移動には、何が起きるかファンにはまったく予想できません。ボクは、まさか、エルズベリー選手をボストンが手放すとは思ってもいなかったですから。しかも、移籍先がボストンのライバルあるヤンキースとは…。ボクはうれしい限りです。これでまた、2003年同様に堂々と2014年開幕からヤンキースを追いかけることになりそうです…。

a0094890_4334951.jpgもうひとり、MLBの1番打者でボクの好きなタイプの選手がいます。
昨年までテキサスにいたキンズラー選手なのです。彼は今年の開幕はデトロイト・タイガースで迎えます。デトロイトの選手になりました。彼の出塁率(8シーズン平均 .349)からみて、チームの主砲・カブレラ選手の打点がアップするのは予想できます。このあたりが、今年のシーズン観戦でのボクの楽しみになります。デトロイトは今季もまた、本気で「10月決戦」を狙っているチーム。昨年あれだけ活躍したフィルダー選手と金銭トレードしている。確かにテキサスにしてみれば、昨年シーズンは打線の力不足で「10月決戦」を不意にしたことは明らかだ。今年こそテキサスは本気になって「10月決戦」を狙っている。
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日本では、松井秀喜氏の「ジャイアンツ打撃コーチ」の話題が賑わっている。
ヤンキースのコーチにしても、松井選手の今後もMLBの動向と同様に、気がかりですね。

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# by mlb5533 | 2014-01-02 04:31 | 第二部

松井選手には恐縮ですが、この「日本シリーズ」は、ボクはあからさまに「楽天」に声援をおくりました。

いまの巨人軍はボクにとってさほどの魅力を感じないチームです。4番を打っている選手の表情…、んーーッ、どうかなあ…。川上、長嶋、王、原、そして、清原、松井と繋いだ巨人軍4番打者…のイメージとは差があり過ぎているように感じるのです。3番にしても、5番にしても安定した選手ではなくて、日替わり打線…。

それに比べて、楽天はおもしろかったですね。
バリバリのMLB選手であるアンドリュー ジョーンズ選手を不動の4番据えた打線。
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銀次選手の活躍がいっそう浮き彫りになりましたね。嶋捕手のスター性にも関心が向きました。
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それに、巨人軍はいままで散々優勝してきたので、今年は「球団初」の快挙でもあり、東北というエリアでの物語もある。なので、楽天を声援していました。

ところが本日、「松井秀喜氏が巨人軍の臨時コーチ」とのニュースを見ましたが、俄然興味がわいてきました。いずれMLBにせよ、日本球団にせよ、現場の首脳職に就くであろう人です。
どんなコーチをしてくれるのか、新しい記事を待っています。

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# by mlb5533 | 2013-11-06 03:44 | 第二部

一昨日、韓国から帰国しましたが、あちらではPCを見ることが出来ず仕舞い。ストレス気味でした。
帰庫して直ぐに病院で検査して、そのまま気絶です。疲れが溜まっていたせいです。


で、本日。
台本を書くという名目で、アパートにひとりでぶらぶら。久々にテレビ観戦が出来ました。
そしたら、これ、でしょう。タマゲましたね。

サンフランシスコ・ジャイアンツのティム・リンスカム投手(29)が13日(日本時間14日)、敵地サンディエゴでのパドレス戦でノーヒットノーランを達成した。サイ・ヤング賞を2度(08,09年)も取っているけれど、ノーヒットノーランはティムにとっては自身初となる記録です。
今季メジャーでは、2日(同3日)にレッズのベイリーがジャイアンツ戦で達成して以来2人目だそうです。
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ボクはうれしかったです。
ジャイアンツは伝統あるチームですが、現在のチームカラーはとにかく、若い、です。それがボクが一番関心を引かれる理由です。伸び盛りの選手がたくさんいますから。
松井氏がまだ松井選手だった07年頃からヤケにボクの心をくすぐってきたチームです。

ティムはここしばらく調子が上がりません。デビューして直ぐにあれだけの記録を創って、獲得タイトルも大変なもの。若者のヒーローにもなっていました。でも、野球の神様はティムに試練を与えたのです。
試練と闘うティムはまず、長髪を切って、ごくごく普通の男子のスタイルにしました。これで、30歳のは準備が出来ましたね。

あとは、実力が戻ってくれば…。しかし、今年はここまで、4勝9敗で防御率4・61と調子が上がっていないのです。昨年は10勝15敗でしたが、今季は昨年以下の成績かも…と、心配していた矢先、この記録です。うれしかったのはボクだけではなさそうです。
ジャイアンツのチームメイトが全員ティムに走り寄って、大騒ぎで「ノーヒット試合達成」を祝ってくれていました…。
ティムがようやく帰ってきたな、って感じがしています。

a0094890_17115297.jpgところで、ボクが日本を出てから、松井選手のニュースが飛び込んできていたんですね、知らなかったなあ。まさか、1Aの打撃投手をしていたなんて!
1Aスタテンアイランドの練習に参加し、打撃投手を務め、若手選手に122球を投げたということ。ヤ軍のブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネジャー(46)からの直々の要請を受けてのこと、とか。
その様子を一昨日サイトで知りました。

これもまた、ボクにはうれしいニュースでした。




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# by mlb5533 | 2013-07-14 17:14 | 第二部

決定! 7・29NYY引退式

松井秀喜氏が、松井選手に戻る日が決まりましたね。
たった1日だけれど、夢のような現実が企画されて、7月29日に実現します。
松井選手も自身で語っているように、「引退ということばは使いたくない」と。ボクも引退ってことばは、「止めます」とか「その世界から身を引きます」とか「もう、かかわりません」という感じが漂って、好きなことばではないです。

松井選手は松井氏になったけれど、ボクにとっての「松井秀喜」はいつまでも「選手」。長嶋茂雄氏がボクにとって「監督さん」であるように…。

膝の痛みがどれほどのものだったか、いまにして伝わってきます。現役生活を短縮した原因は膝だったようですね。膝さえ…と、思いますがそれはすぎたことです。これからの松井選手の活躍を期待しています。

ところで、7月29日ですが、これは日本時間です。NYは、28日です。
この日になった理由は、「背番号55」にちなんで、今季日程で当初、「55試合目」のホームゲームにあたるレイズ戦が選ばれたというわけです。
ずいぶん、ヤンキースも粋な計らいをしてくれます。ロンゴリア選手たちも松井選手の引退式に同席することになるから…いいですよ、これは。
式典は試合前に行われ、先着1万8000人の来場者に松井氏の特製首振り人形がプレゼントされる。

引退式典自体、MLBでは日本人初なら、ヤンキースで1日限定のマイナー契約(ワンデー・コントラクト)を結ぶのも07年のジェフ・ネルソン投手以来のこと。ファンに想い出を与えるような活躍をして、なおかつ「愛された選手」のみだけに許される“特権”だそうです。
国民栄誉賞の授賞式では、感動のスピーチをした松井選手。今度は、ヤンキースタジアムではどんなスピーチをするのかいまから期待してしまいます…。

現役選手から抜け出して、来季からどんな「現場」で新たな仕事を始めるのか…。
まだまだ続く松井選手の「夢」物語です。


…NY152…
# by mlb5533 | 2013-06-07 09:52 | 第二部

慌ただしい1週間

a0094890_9527100.jpg9日、松井秀喜氏は成田から出国した。
僅か1週間程度の帰国で、長嶋邸に打ち合わせに訪問したり、国民栄誉賞授賞式を無事に終えて、その後は首相官邸で会食に参加したりと、気が休まる暇もなく慌ただしいスケジュールをすべて難なくやり遂げた…と、ボクは思っています。

ご苦労様でした。

松井氏は授与式で、「記録を持っているわけではない」と挨拶していましたが、それは恩師・長嶋監督さんとて、同じ事ではないでしょうか。長嶋さんは「なんとか世界記録」という「金メダル」は所有していない人です。ふたりに共通していることは、ボクたちに「野球の楽しさ」を教えてくれた記憶に残る選手だったと言うことです。


記録は塗り替えられます。
どんなスゴイ記録もいつかは誰かがそれ以上のパワーで塗り替えることでしょう。でも、ボクたちが松井氏と長嶋監督さんからいただいた「名場面」の物語はすでに伝説になっています…。記憶に残っているプレー、です。天覧試合で阪神・村山投手から打ったサヨナラホームランは長嶋選手の伝説であり、松井選手が09年のワールドシリーズでの活躍もまた、伝説になっています。

記憶に残るプレーをした選手の代表が、おふたり、というわけです。
記録は数値によって示されますが、記憶は人の心に残ります。励みになり、感動を再現して、生きる力を感じます。まして、おふたりの関係が野球ファンならずとも知っているように「師弟関係」で繋がっていることです。教える立場はパワーが必要です。根気よく、継続して、相手が習得するまでつきあわなくてはなりません。指導される立場もまたパワーがいります。教え、教わる…。技術的なことから次第に心の持ちようまで伝授されていく…。
素晴らしい人間関係だなあ、と羨ましく思えます。
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さて。
慌ただしい1週間を過ごして、ニューヨークに戻った松井氏。
ボク個人としては、何年か自分のための時間を持ってしたいことをして…と、思っていましたが、国民栄誉賞受賞となってしまうと、そうも行かなくなるかも知れません。
社会の組織に歴史のうねりという大きな歯車が「おふたり」に動き出した感じもします…。

松井選手が米国にわたったその日、長嶋監督さんは「多摩川グランド」で2軍選手たちの練習に参加していました。

そこには、清々しい青空がありました…。
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# by mlb5533 | 2013-05-11 09:09 | 第二部

「長嶋監督とふたりで素振りした時間」と、引退記者会見で松井選手は「一番印象的なことは?」との質問に、こう即答していました…。

2013年4月1日午後に内閣官房長官の菅義偉(すがよしひで)さんが記者会見で、政府が国民栄誉賞を長嶋茂雄と同時に授与する方向で検討していることを明らかにしました。
4月16日、ふたりの国民栄誉賞の授与が正式に決定。
5月5日、東京ドームで行われた読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦で松井の引退セレモニーと国民栄誉賞授与式が行われ、内閣総理大臣の安倍晋三さんから国民栄誉賞が授与されました。
その後の始球式では、松井選手は巨人時代のユニフォームを着用して、長嶋監督を打者に、巨人監督の原辰徳さんが捕手、安倍総理が審判になっての始球式を行いました…。ボクたち野球ファンのみならず、この時ばかりは日本中が楽しく、明るく輝いて、誇れる一日になりました…。

a0094890_13462329.jpgさあ、主役のおふたり。
お揃いのスーツ姿で登場です。

濃紺のスーツに水玉のネクタイ、ピンストライプのワイシャツも全てお揃い。まるでどこかのビジネスマンのようです。余計な装飾品などありません。式典の後で知りましたが、長嶋監督さんがわざわざこの式典のために同じスーツをあつらえて、松井選手に贈ったものだそうですよ。恩師から贈られたスーツに袖を通した松井選手の心境はいかばかりだったでしょうか。それにしても、この式典にふさわしいじつにお似合いの姿でした。

ふたりの国民栄誉賞受賞式はいままでの授賞式とはずいぶん違いました。


国会内でもなく、首相官邸内でもなく、国民がふだんからたくさん集まる場所であり、ふたりにちなんだ場所でもある後楽園の「東京ドーム」が授賞式の会場に選ばれました。しかも、日取りは黄金週間の5月5日「こどもの日」です。
日本国中から、みんながあつまった。この式典に自分も出席してふたりの晴れ姿と自分の人生をともに祝うかのように、5万人が会場を満席にしました。
遠方から来られた方、夜行バスを使ってきた青年たち、海外から参加した家族などなど…。
5万人のそれぞれ違った想いを携えて、長嶋さんと松井さんの式典に同席して、ふたりを祝しています。まさしく、ここに集まった人たちは人生の時間を共有していました…。

そもそも、事の始まりは安倍総理が東日本視察を終えた昨年12月29日、東京に戻る新幹線の中で「敗北主義から抜け出し、強い日本を取り戻す」というスローガンを掲げた安倍首相は「誇らしい日本」を国民に印象づけるイベントに頭を痛めていたが、このとき、「師弟関係のふたり」の存在を思いつき、内閣に検討するように指示したといわれる。舞台に例えると、今回の「企画・演出」は安倍晋三さん、ということになりますね。

ボクは仕事の都合で新潟・直江津からテレビでふたりの様子を見ていましたが、「戦後」という言葉をあえて使いたくなる光景だなあ、と感じました。

「戦後、これほど美しく個人を讃える式典がボクたちの日本国内であっただろうか…」と。
ふたりがお揃いの濃紺姿でドームの廊下を歩く姿がテレビに映し出された瞬間、ボクは不覚にも、人前であるにもかかわらず、その美しさがとても眩しくて、熱い感動を抑えきれません。目頭から熱いものが落ちていました…。

ふたりはボク個人にとっては「英雄」であり、日本の「戦後史」そのものでもあるとボクは思っていました。「昭和の物語」と「平成のドラマ」を正確に繋いで時空を重ねてくれたのは、ボクは「このふたりだ」と断言できます。それは「師弟関係」というあまりにも古典的な日本の道徳心の常識的な関係であり、日本的な、伝統的な、ローカル文化であり、ふたりの人間が世代を超えて繋がっていた事実が、日本人にはより一層身近に感じられたのでしょう。長嶋さんが大活躍した昭和30年代から40年代の頃、日本は世界各国から「モノ造りニッポン」と高い評価をいただいた。
日本経済を永年支えた「終身雇用制度」がその礎にあった。当然のこと、師弟関係はビジネスの世界でも当時は「常識の常識」だった。ところが、日本人は自分たちの組織の中枢であるこの「制度」を自ら放棄して、「欧米みたいな」経済界と政治体制を作ろうと方向転換をした。その副作用が、人とのコミュニケーションの崩壊だった。「チームプレーの時代」から「自分主義の時代」に変換した…。でも、日本人は心の奥底で知っている。師弟関係の美しさを…。人を育てる歓びを…。
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長嶋監督と松井選手は、「日本の心」をそのまま自分たちの「仕事場」に惜しみなく使っていたのだろう…とボクは確信しています。長嶋さんは若き松井選手にこういっていました。
「生涯で一回しか球場に来られない人もいる。その人のためにも試合を休むな」と、伝え続けました。ということは、長嶋さん自身もそういう姿勢で17年間、2186試合、1522打点を叩き出した「あの仕事」をし続けていたことになります。
松井選手は20年間、日米と太平洋をはさんで、日本では1268試合 米国では1236試合 合計2504試合に出場して 日本で889打点 米国では760打点 合計1649打点を叩き出しました。そのパワーの源は「ファンのために」という監督さんからの直伝をやり続けたということです。そして、常に「チームの勝利」を叩き込められました…。
これこそが、ふたりのうらやましいほどの「師弟関係」が築かれた理由だったのでしょう。 

…ふたりの足跡をまるで走馬燈のようにさまざまな想い出の光景が蘇ってきます。
きっとそれは、ボクだけではなかったと思う。テレビを観戦している全ての国民が自分の人生と、ふたりが活躍した時代とのかかわりを蘇らせていたのではないでしょうか…。「あの時オレも…」「スげぇ試合だった」「忘れないよあの時だろ…」と、まるでシェイクスピア・ヘンリー五世の台詞を聞いているかのように、時をわすれて人々はふたりの自慢話に花を咲かせる…。

長嶋さんは立教大学4番打者として六大学リーグで活躍していました。当時はプロ野球より六大学野球のほうが人気があったといいます。その頂点にいたのが長嶋さんだった。彼が昭和33年、巨人軍に入団すると彼のファンの視線は一斉に六大学リーグから、プロ野球に移行した…。長嶋さんの一挙手一投足が茶の間の話題なっていきました。
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大衆の視線の移動が「巨人軍の歴史」を作っていく大きなきっかけになりました。その立役者が、我が「長嶋茂雄」、なのです。いまさら記すこともありませんが、長嶋さんは日本の人たちから「視線」を感じていたのです。だから彼はファンを大切にしてきましたし、マスコミとのかかわりも大事にしてきました。そして、数々の「伝説」と「記録」も作っていきました。グランドではまるで舞台俳優のように華麗なフットワークの守備を披露してくれました…。プロ野球の「仕事ぶり」をナガシマを通して初めて日本人は知ることが出来たといえます。展覧試合でのサヨナラホームランなどなど…を。
そんな長嶋さんが38歳で現役引退をしましたが、あの式典は「日本国民が総泣きした日」でしたね。その年の6月に松井秀喜さんが誕生しています。そして、松井さんもまた38歳で現役を引退しましたね…。

松井選手はボクにとって、さほど気になる存在ではなかったのです。
ところが、です。02年、「裏切り者と言われるかも知れませんが、ヤンキースに行きます」との記者会見はボクの視線を再び大リークに移行させるきっかけになりました。ボクもひとりぼっちでニューヨークで仕事をしていた頃があったので、若かった自分の懐かしさと、ひとり太平洋を渡る松井選手の活躍ぶりが気になったのです。

松井選手の大リーグ移籍は、それまで巨人軍4番打者・松井選手のファンである方々の視線をそっくりそのまま、米大リーグに移行させたとボクは思っています。かつての「ナガシマ現象」のように。それは、野茂投手のドジャース移籍とは格段に違っていました。子供たちまで「大リーグ」を身近に感じたのです。しかも、ヤンキース、です。「マツイ物語」が生まれないわけがない…。
最高の舞台でした。

トーリ監督さんからの評価が紹介されたり、ニューヨークの王子様・ジータ選手からの「友情宣言」であり、ヤンキースの4番打者・バーニー選手からの祝福であり…多くの大リーガーたちからお祝いのコメントが届きました。米国のメディアでも、マツイの「国民栄誉賞」を祝福する記事を報じました。

ここで、トーリ監督さんのコメントを記しておきます。
「松井&長嶋両氏へ米国から祝福」と題して記事が掲載されました。
ヤンキース時代の恩師で、現在は米大リーグ機構の副会長を務めるジョー・トーリ元監督(72)が松井、長嶋両氏へ祝福のメッセージを送った、と。

 おめでとうございます。日本球界を代表する2人にふさわしい賞で、どちらとも交流があることは大変光栄です。
 ヒデキとの思い出は尽きません。真面目な男ですが、実はユーモアのセンスも非常にある。チームミーティングの最後に指名するとユニークな発言を用意していて、同僚たちを爆笑させてリラックスさせてくれました。
 選手としての思い出はマーリンズとの2003年ワールドシリーズ第2戦。一回二死一、三塁のカウント3ボールで「待て」ではなく「打ってもいい」のサインを出しました。入団1年目でしたが、すでに状況に応じた打撃をしてくれると信頼していました。先制3ランという最高の結果で期待に応えてくれました。
 指導者の資質は十分。野球をよく知っているし、周囲から人間として尊敬もされている。イサオ(元専属広報の広岡勲氏)の三塁コーチ起用は勧められませんが(笑)、将来は監督に挑戦してほしいと思っています。
 長嶋氏に初めて会ったのは、メッツの一員として日米野球で来日した1974年。食事をする機会もあり、抜群の人気とチームを引っ張る姿が印象に残りました。
 2人のプレーからは、勝利への強い執念を感じました。グラウンドで独特の雰囲気を漂わせていた理由かもしれません…。
と、述べている。

…松井選手は、「日本球界」と「米国ベースボール界」を繋いだ「民間外交官」としての仕事を無意識にしていたことにもなります…。
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それだけ、松井選手は米国でも成功した人なのです。
「彼は謙虚だ」と言うコメントがとても多かったように、「師弟関係」で培ったコミュニケーションは米国でもちゃんと通じるのであります。そうです、ボクも体験から実感していますが、ね。

そんな長嶋茂雄巨人軍名誉監督と松井秀喜選手の同時受賞です。
こんな粋な計らいをしてくれた日本政府の総理・安倍晋三さんもまた野球道を知っておられる楽しい方に見えてきます。式典のなかで、安倍総理は素晴らしい笑顔でいてくれたことを、国民は忘れないでしょう。「96」の背番号って? と、テレビを見ていた子供たちは大人に訊ねたことでしょう。「96代目の総理大臣」だからと、ふだんは政治評論をしているテレビのアナウンサーでさえ、言ってくれませんでした。
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こんな楽しくも、暖かい時間を日本国民に与えてくれた安倍総理は政治家であると同時にまた、ボクたち同様の野球狂なのかも知れないと、妙に親近感を感じました…。

a0094890_14424854.jpgなにを書いても書き足りません…。
東京に戻った昨日6日、録画を見たら新潟で見た内容と全然違っていました。録画の方がいい内容です…。しばらく、この映像を楽しむことになりそうです。
松井選手が監督さんになるとか、先のことが話題なっていまが、ボクはしばらくはアメリカ生活をしておくほうがいいのでは…と。どうせマツイ家の自宅はニューヨークなのですから、松井選手のことですから、自分でヤンキースに声をかければそこで仕事ができるだろうし、お子様の通学も、そして自分の希望でもある進学もしたりしてもいいのではないかなあ…なんて、お節介ですが、そんなこともいまは思っています。




最後になりましたが、松井選手が国民栄誉賞授賞式の直前にあいさつした「引退のあいさつ」と、受賞した「あいさつ」のことばをボクが野球ファンだった歴史として、そして松井選手を書き続けた日々と、このブログで出逢った「ブロ友さん」たちとのかかわりを含めて、私的なささやかな記念碑としても、ここに記しておくことにしました。




「引退のあいさつ」

ジャイアンツファンのみなさま、お久しぶりです。
2002年 ジャイアンツが日本一を勝ち取った
直後 ジャイアンツ そしてファンのみなさまに
自らお別れを伝えなければいけなかったとき
もう二度とここに戻ることを許されないと
思っていました。

しかし 今日 東京ドームのグラウンドに
立たせていただいていることに
今 感激で胸がいっぱいです。

1992年のドラフト会議で私をジャイアンツに導いてくださったのが長嶋監督でした。
王さんのように 1シーズンでホームランを
55本打てるようなバッターを目指せと 
背番号55をいただきました。
将来は立派にジャイアンツの4番バッターを
務めなくてはいけないと思い 
日々 努力したつもりです。




ジャイアンツの4番バッターを任せていただけるようになり
誇りと責任を持って毎日プレーしました。
ただ その過程には常に長嶋監督のご指導がありました。
毎日毎日 ふたりきりで 練習に付き合ってくださり ジャイアンツで4番バッターに必要な心と技術を教えていただきました。
また その日々がその後10年間 米国でプレーした私を大きく支えてくれました。
そのご恩は生涯忘れることはありません。

今日 ファンのみなさまに久しぶりにお会いしたにもかかわらず 
再びお別れのあいさつとなってしまい 
もう一度プレーする姿をお見せできないのは
残念ですが これからも僕の心の中には常に 
ジャイアンツが存在しつづけます。
どういう形か分かりませんが またいつか 
みなさまにお会いできることを夢見て 
また新たに出発したいと思います。



ジャイアンツでプレーした10年間 
そして 米国でプレーした10年間 
いつもいつも、みなさまからの温かい声援が
僕に元気を与えてくれました。

ファンのみなさま 長い間 
本当に本当にありがとうございました。

………  ………  ………  ………  ………  ………  ………  ………  ………  ………  ………





「国民栄誉賞受賞のあいさつ」

私はこの賞をいただき 大変大変光栄ではありますが 
同じくらいの気持ちで 恐縮もしております。
私は王さんのようにホームランで 
衣笠さんのように連続試合出場で 
なにか世界記録を作れたわけではありません。
長嶋監督の現役時代のように 
日本中のファンの方々を熱狂させるほどの
プレーが出来たわけではありません。

ボクが誇れることは 
日米の素晴らしいチームでプレーし 
素晴らしい指導者の方々
チームメイト 
そして素晴らしいファンに恵まれたことです。




今後 偉大な お三方の背中を追いかけ 
日本の野球の そして野球を愛する国民のみなさんの力に少しでもなれるように 
努力していきたいと思います。

この度は 身に余る光栄ではありますが 
ただただ 私を支えてくれたファンの皆様 
そして私が野球でかかわったすべての方々に感謝を申し上げたいと思います。

ほんとうに ありがとうございました。






…NY152…
# by mlb5533 | 2013-05-07 14:46 | 第二部

55番の「国民栄誉賞」

書こう書こうと思っていたのに…。
ずいぶん時間が経って「国民栄誉賞」の話題はもう古く感じますね。

とにかく、長嶋さんとふたり揃っての受賞、という事実がボクにはとっても嬉しく感じたものでした。
「師弟関係」の受賞です。

このブログを立ち上げるきっかけは、松井選手がニューヨークヤンキースにいくという記者会見を見たときでした。FA宣言をしたときに、「裏切り者と言われるかも知れませんが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい…」とコメントしていました。
巨人軍時代の松井選手にはさほどの関心はありませんでしたが、このコメントに松井秀喜選手をひとりの人間として親近感を覚えました。
その年の暮れ。松井選手の「ヤンキース入団」が発表になった。
「ヤンキースだって?!」
これがボクの反応でした。

野茂投手のあと、イチロー選手が渡米してよい成績を上げていましたが、まだまだ日本人選手が大リーガーで活躍出来るとは思っていなかった頃でした。野茂投手は望んでMLBに移籍したのではありませんでしたね。でも、ノーヒットノーランを2回も達成しましたし、奪三振でも記録を残してました。こんないい選手を放出する日本球界ってなにを考えているのか…と思ったものでした。その後、日本球界最高の「安打製造機」イチロー選手が、日本球界最高の4番打者・松井選手がMLBに移籍です。

イチロー選手がMLBに移籍してもボクは「あッ、そうなの」程度でした。
しかし、松井選手の移籍には驚きました。ヤンキースに移籍、とは。たまたまボクは仕事の関係で単身ニニューヨークにいたことがある。あの頃のヤンキースは優勝から離れた「冬の時代」でした。マッティングリー選手がいのまジーター選手のようにオナゴたちから騒がれていた頃です。ひとりで芝居やミュージカルを見てましたが、友だちが出来、その友だちがビレッジでヤンキースを熱く語ってくれました。スタジアムにも行きました…。

そんな想い出が松井選手の「ヤンキース移籍宣言」で蘇ってきました。「そうだ、ブログでも書くか…」って、そんな気持ちにさせてくれたのも、松井選手のおかげです。
ブログを書いていくと松井選手のことをボクはちっとも知らなかったことに気づかされました。なかでも、長嶋監督さんとの「師弟関係」です。長嶋監督は当時の巨人軍でなんとしても、ホームラン打者の育成が必要だ、と考えておられたようです。それに応える選手は「55番」しんいない、と。なので、監督さんは必死になって松井選手を育て上げた。将に手塩にかけて…。
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それに応えた松井選手もエライです。試合前後に移動先ホテルで、自宅で1000本素振りを毎日実行していたと聞きました。
…やがて02年、巨人在籍最後のシーズンでホームラン「50本」を記録するまでの最高の4番打者に育っていたのです。
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おそらく、ですが…。ボクはふたりの時間は「素振り」だけやっていた訳ではないと思います。
長嶋監督さんは「プロ意識」「巨人軍の4番とは」「記者さんとの対応」そして、巨人軍の伝統である「紳士でアレ」をいろいろと自分の体験も交えて、若き4番打者候補に伝えていたのではないでしょうか。
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そんなふたりは01年、長嶋さんは監督を勇退し、翌02年、松井選手もFA件を行使して太平洋を渡ってアメリカ・ニューヨークに移籍した…。

そんな時間を過ごした松井選手は長嶋イズムを聞き入れて、ますます「チームの勝利」を土台にする4番打者に成長していったと思うのです。そうでなければ、ヤンキースに移籍したとき、あれほど進塁打、犠牲フライ、犠打など日本の4番打者なのに「何でもやるプレーヤー」になっているわけがありません。ホームラン打者としてのみ価値がある選手だったら、バットをブンブン振り回していたはずです。個人技の魅力もさることながら、「チームの勝利」を最優先する考え方で彼はプレーし続けたとおうのです。この考え方は「恩師・長嶋茂雄」さんからの直伝だったとボクは思っています。プロ生活とは…、ファンあってのプロ…、そんな教えを松井選手は日本でも、MLBでも揺るがずにプレーしていたのでしょう。それが、アメリカでの私生活をも充実させたのでしょう。
松井選手はずいぶんアメリカで友だちをたくさん作ったようですね。いいことです。

あのデビュー。
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スゴかったですね、そう、ヤンキースタジアムでいきなり「満塁ホームラン」でしたから。
長嶋監督さんも大喜びでしたね。愛弟子がこれほどの快挙をやってのけたのですから…。

先日のインタビュー番組は見られませんでした。TBSさん、今までのインタビューをDVDにして販売しませんか? 「国民栄誉賞」という話題性もあるのでいいと思うけどなぁ。

まだ書きたいことはたくさんありますが、今日はここまで。



…NY152…
# by mlb5533 | 2013-04-11 16:21 | 第二部

素晴らしい! の、ことば以外見つかりません。
ダルビッシュ投手が26アウトまで「完全試合」でした。
あと一死で完全試合達成という場面で、9番ゴンザレス選手に、自分の足下を抜かれたセンター返しをされて…。
パーフェクト試合は達成出来ませんでしたが、今季の活躍を暗示していた試合でした。

ダルビッシュ投手はテレビインタビューで、
「あそこまでいったらアウトを取りたかった。自分はまだ完全試合を達成しているピッチャーに比べて、もう一歩足りないということ。いい思い出になった」
笑顔でこえていた姿にボクは好感が持てました。

今日の試合で、マリナーズの岩隈投手も勝ち星をあげました。今季のMLBは日本人投手の活躍が話題に上がりそうですぞ…。

…NY152…
# by mlb5533 | 2013-04-03 15:19 | 第二部

4月1日、長島茂雄巨人軍名誉監督さんと松井秀喜さんのふたり揃って、「国民栄誉賞」同時受賞の方針を決定しました。政府もずいぶん粋な計らいをしてくれました。
「ふたり揃って」というところが「日本人らしさ」を感じます。ズバリ、「師弟関係」の受賞ですからこれは日本人の心を掴んでしまったことでしょう。まだ桜が残る板橋駅前商店街にも、このニュースは春の街を一層明るくさせてくれました…。

このニュースは日本国内だけに留まらず、全米にも、中南米諸国、そしてベースボールの楽しさを覚えた欧州諸国に、さらには豪州にも「ナガシマ&マツイ」の名前が報じられたはずです。日本にいる外国記者たちは一斉に祖国にこの話題を原稿にして送信したはずです。
ところで、「国民栄誉賞」を英語ではなんと表現するのかと素朴な疑問。直訳すれば「People honor prize」かなあ…こんな言い方?かぁ…。
気になりますよねぇ。そこでボクは早速NHKの広報担当さんに電話取材してみました。海外向けのニュースでは、「People's Honor Award」という言語表現で統一されていました。政府も今後のこともあるので、英語での表記も示していただきたいなッ。一国の総理が国民に表彰を贈る…、こんなに素敵な行事は他の国にも誇れると思いますから、ねッ。

a0094890_15432320.gifさあ、皆さん。
このうれしさを、どのように書けばいいんでしょうか…。
松井選手のコメントはまだ日本には届いていないようですが、
長嶋さんはいち早く、

「国民栄誉賞のお話には驚いておりますが、受賞が決まれば、本当に光栄です」

とコメントした後、まな弟子の松井氏との同時受賞には、

「監督と選手として苦楽を共にしてきた松井君と一緒に頂けるということであれば、これ以上の喜びはありません」

と、ご自分の感動までコメントしてくれました。

長嶋さんと松井選手の「書きたい放題」のチャンスじゃないですか!
うれしいやら…緊張するやら…データの取材もしなくちゃなんないし…。まあまあ、興奮してますから、なにを書いても自己満足100%の原稿です。すみません…。

a0094890_15534842.gifWindows3.1時代からPCをいじくっていましたから、大量のソフトが部屋で放置されたまま。その中には、文春がかつてCD発売した「長嶋さんのCD」があったはずと、懸命に探しまくって、見つけましたよ。
その写真を使ってこんなコラージュを創ってみました…。まずは、長嶋さんの現役時代。ボクたちが初めて野球に熱狂した頃の長嶋選手が、これでした。









長嶋さんと松井選手。このふたりの物語って、実によく似ていますね。それぞれが「師弟関係」のみならず、「宿敵」もあり、「運命的出逢い」あり、「伝説」ありとずいふん共通したドラマを持ち合わせています。これをいちいち丹念に書いたら、それだけでも一本のブログが出来上がるほどの分量でしょう…。それほどこのおふたりの生き様は「球界」という限定した地域にとどまらず、「一般社会」に大きく影響を与えた人物であることに違いありません…。

長嶋茂雄…。
「我が巨人軍は永遠に不滅です」
ボクが野球を大好きになった理由は、巨人軍に長嶋選手がいたからです。
音楽と絵画とお芝居だけしか出来なかったボクが、小学校の夏休みにお父さんに連れられて「後楽園球場」で巨人と中日戦を見ました。お芝居や演劇、寄席など「ナマの声」でずいぶん沢山見ていましたが、スポーツはボクにとって未知との遭遇でした。
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球場に響き渡る打球の衝撃音、観客の歓声、星空に飛んでいく白球の美しさ、躍動する選手の動きなどなど。しかも、芝居小屋で食べるお弁当とは全然違ったパンの味(と、いうのか…今想えばホットドッグ的なサンドみたいな…)を初めて知って、驚いたことまで覚えています。
なんとまあ、おもしろいんだろう、映画よりおもしろい…と、そう感じたものでした。
実はあの頃のボクは「プロ野球」って、「商業的見世物」だと勘違いしてましたからお父さんに、「これにも台本があるんでしょ」って、聞きました。そしたら、「よく見ろ! 台本どおり選手が動けるか! そんなのないんだよ、台本なんてないだスポーツの世界には」って、笑って教えてくれました…。ボクには衝撃的な真実でした。
だって、台本がないと言うことは「ずいぶん危険なことをしている人たち」と想ったからです。
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ボールに当たったら大怪我するよ、アブナイよ、って想ったんです。
…とにかく初めての後楽園はボクにとって衝撃の、未知なる夢の世界との出逢いであったことには違いありません。小学生時代、日舞に通っていましたが、その夏はおさらいどころか、すっかり野球のトリコになって、日舞の舞台どころか、夏休みの宿題さえ後回しにしたほどでしたから。
ルールを知れば知るほど野球って「うまく出来てる」って感激したことも覚えています。真っ先に覚えたルールが、「ホームラン」でした。分かり易かった。クラスの仲間とさんざん「長嶋談義」をしたことも、ボクの子供時代の想い出です…。

「4番サード・ナガシマ」のアナウンスが球場に響き渡ると、ボクは「よし!」って気合いが入ります。「さあ、今日はどんなドラマをみせてくれるのかなあ…」って、まさしく緞帳が上がる舞台見物と全く同等の興奮が起きました。ボクの長嶋選手へのイメージカラーは「ホワイト」なんです。9回になる頃には泥だらけになってしまう長嶋選手のユニフォームなのですが、その汚れがかっこいいって想いました。
打つ姿…走る姿…一塁に投げる独特の姿…バットを振る姿…、当時のボクにはあれ以上の「役者」は、球界では見当たりませんでした。
東映だったら中村錦之助、大映だったら市川雷蔵と勝新太郎、東宝だったら三船敏郎と加山雄三ってボクには決まりがあったのですが、スポーツは「長嶋茂雄選手」でした。野球を知ったあの頃、巨人軍の勝敗より長嶋選手の試合での活躍に関心が向いていたのです。長嶋さんの活躍だけを追いかけているうちに野球ゲームとは「チームプレー」であることを知りました。やがて、勝負にこだわる観戦も出来るようになりました。野球の醍醐味とは、「団体戦であり、個人技の総合力」であること。舞台や合奏とまったく同じだ、という楽しみもわかるようになりました。
長嶋さんのおかげです。

ボクだけではないと思います。お父さんでさえ、あの引退ゲームの時、テレビの前で涙を拭いていましたから…。

まだまだ書きたいネタがあります。今日は、まずは舞台のかけ声よろしく「ご両人!」と、お祝いをだけを書いておくことにします。
松井選手は直ぐに書きますが、いろいろと写真など集めたり、データを取材したりしてみますね。
がんばります!



長嶋 茂雄(ながしま・しげお)

1936(昭和11)年2月20日、千葉県生まれ、77歳。佐倉一(現佐倉)高から立大を経て、58年に巨人入団。1年目からレギュラーの三塁手として活躍し、新人王。勝負強い打撃と華麗な守備で、王貞治らとともに巨人のV9(65-73年)を支えた。74年に現役引退。75-80年、93-2001年に巨人の監督を務め、日本一2度、リーグ優勝に5度導いた。02年12月、日本代表監督に就任したが04年3月に脳梗塞で倒れ、アテネ五輪での指揮を断念した。1988年野球殿堂入り。現巨人軍終身名誉監督。右投げ右打ち。


松井 秀喜(まつい・ひでき)

1974(昭和49)年6月12日、石川県生まれ、38歳。星稜高で甲子園に春1度、夏3度出場。3年夏の明徳義塾高戦(2回戦)では5打席連続で敬遠された。93年ドラフト1位で巨人入団。主砲として4度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。2002年オフにFAでヤンキース移籍。07年5月に日米通算2000安打達成。09年ワールドシリーズでは日本選手初のMVPに輝く活躍で世界一。10年エンゼルス、11年はアスレチックスに所属。12年はレイズでプレーし、12月に現役引退を表明した。右投げ左打ち。

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…NY152…
# by mlb5533 | 2013-04-02 15:41 | 第二部

おめでとう!

本日のトップニュースは、
『松井秀喜氏に長男誕生、母子ともに健康』
の、見出しが眩しい。

ゴジもお父さんになった…。
おめでとうございます。

アメリカで生活する土台はこの10年間で十分すぎるくらい創ってきた松井秀喜さん。ボランティア活動にも積極的に参加してアメリカ社会に順応している生活が窺えますね。

…NY152…
# by mlb5533 | 2013-03-14 19:01 | 第二部